Chiacchirata(雑記ノート)
2. イタリアの生活、歴史、出来事、経験、の「あれこれ」  


Indice(目次)


Bella l‘itaria(ベッラ・リタリア)素晴らしきイタリア

イタリアの統一     イタリア美術探訪

イタリアの春    復活祭      ベニスのカーニバル    イタリアが大変!!

イタリアの夏                                     .


Veneziaヴェネツェア         .
8/15のぶんです。   夏のベネチア
シチリア島                    .


秋風が吹き始めるとイタリアではどんなだったかなあ            .



イタリア人の国際感覚?   イタリア日記その2「PEROぺロ〜」    なんにでも付く姓

新しく古いイタリアと日本の関係

イタリアの台所その1    爪楊枝とイタリア    ユーロ(欧州通貨) .



3. イタリアの生活、歴史、出来事、経験、の「あれこれ」に進みます




ヴェニスのカーニバル(謝肉祭)

以前に取り上げた復活祭パスクワの前には禁欲の期間があり、断食を行い心身を清め敬虔な

祈りを捧げひっそりとした生活をすごしていた。なんて話したことがありました。

しかしながら、ここからがイタリアらしいのですが

その期間の始まる前の数日間はカーニバルと称して大騒ぎできる期間としたんです。

その語源はラテン語から来ていてCarne Levareカルネ・リバーレ(肉よさようなら)なんですってよ。

このことと昔からヨーロッパに伝わる悪魔祓いが一緒になって現在のカーニバルになったのだそうです。

したがってカーニバル事態はヨーロッパ各地で行われていると思いますが、ベニスのそれはちょっと

他とは違いますよ。それこそ世界中から人々が集まり町全体が仮装舞踏会のようです。

町そのものが中世の面影を残していて人々がみな仮装して歩いているのですからほとんどタイムスリップ

した気になってしまいます。
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ここでは特にパレードなどといったイベントはありません。しかしこのときこの町に居合わせた人全て

がカーニバルを演じる一員なのです。それこそ町の隅々で絢爛たる衣装、さまざまな仮面。

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見ればお分かりいただけると思いますが何ヶ月も前から相当な金額を注ぎ込んで、

アイデアを絞っている・・・・・・・・

歴史ある街ですからそれを受け継ぐ町の人々の思いや意気込みたるやそうとうなものですね。

裏通りの 土産物屋さん で仮面を買って飛び入り参加なんてことも簡単に出来ますよ。
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このときばかりは女性が男性になったり庶民が貴族になったり老人が若い女性に

ふんしたりすることもできるんです。しかし扮装した人はたいがいは静かに町を練り歩き、

馬鹿騒ぎしたり怒鳴ったりすることはないのです。



さてその起源は18世紀にさかのぼります。地中海の女神と謳われたベニスも衰退が始まっていました。

閉塞感の漂う社会の中で庶民も貴族も互いにガス抜きする場が必要だったのです。

今の日本にも必要かもしれませんが・・・・・・・・・・・

仮面をつけてマントをかぶればそれぞれの階級も性別も年齢も気にすることなく行動すること

ができ、楽しめたということらしいのです。しかし共和国の崩壊ととも開催されなくなった

このカーニバルが復活したのは1970年代です。

余談ですが、1970といえば日本では大阪万博が開催されたとしです。東京オリンピックの次の

日本における国際的な大イベントで経済は右肩上がりの成長を続けていくことに成るわけです。


冬の北イタリアは新潟と同じように寒いんです。ベニスは 北イタリアに位置して後ろには

アルプス山脈が連なりドロミテの連峰がありますからね。とにかくさむい!!

ですからこの時期さすがに観光客も足が遠のくことになるわけですよ。もうお気づきでしょうが

町おこしといったら今日的でしょうか?観光客を呼び戻すために昔のカーニバルを復活させたところ

これが馬鹿あたりしたというわけ。

僕も何度かベネチアに行っていますが偶然に2度もたまたまカーニバルに当たってしまいました。

一度は日本から仲間たちを案内してイタリアを回った時ほんとにたまたま当たってしまって

町の中に部屋の予約が取れずに困ってしまって隣の町まで行って部屋を確保した思い出

があります。まさかカーニバルのことなんて考えもしませんでしたから、イタリアでの滞在は

ほとんど予約なしで皆を連れ回していました。

皆さんも夏の観光はもちろんすばらしいのですがもし冬に当たりそうでしたらベニスのカーニバルに

合わせたスケジュールを組むと思い出に残る旅となると思いますけど。どうでしょうか。

そしてせっかくですから貸衣装屋さんもありますので仮装して参加されたらほんとに楽しめるの

ではないかと思います。




復活祭
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日本人って何でも外国のものを取り入れるのが上手い。クリスマス、バレンタイン

最近はハロウインなんて事をい言い始めていますよね。でももっと大きなお祭り

がありますよ。それはパスクヮ(復活際)です。なぜか注目を浴びることがないよう

です。  パスクワの前の40日間はキリストの断食にちなんで肉食を絶ってむか

えることになっています。でも実際にはまったく肉を食べないなんて人は少なく .

まあ、美食、飽食を控えるって程度のようですが。                   .

普段のイタリアの朝ごはんはカフェラッテとブリオシ(甘いカステラのようなパン)

が定番で軽く済ませるのが一般的です。                 .       .

・・・で、パスクワを迎えた

その日は朝から思いっきり食べるのが決まりだそうです .

想像してみてください!                                   .

朝食のテーブルの上には、山盛りのゆで卵と大きなサラミがドーンとのっております。

一年に一回この日だけってことらしいのですが・・・・・・ちょっとねえ・・・・・・・・・・・

さて、それではローマ地方のその日の献立を覗いてみましょう。         . 

1・各種サラミとカラーコーティングしたゆで卵の盛り合わせ。   .

2・鶏肉入りのラザニア                         .

3・子羊とアーテチョークの煮込み                   .

4・巨大なリング型焼リゾット。鳥レバーと肉団子のトマト煮添え。

5.ローストビーフ(結構誰も手をつけずにのこってしまう。)    .

6・サラミとチーズ入り自家製パン                   .

7・山盛りの野菜サラダ                        

8・タップリのワイン                         .

9・ミモザケーキ(クリームが中に入ったスポンジケーキ    ,

イやあすごいですねえまったく・・・・・・・                        .

実はイタリアの冬は結構寒くて新潟のように天気も悪く、だからこそ春の訪れ

が本当にまちどうしいのです。つまり復活祭は冬の終わりを告げる大切な日

だと言うことがこのメニューに現れているのだとおもいます。 

ところで

イースター(復活祭)は、カトリックの国イタリアにとって、とっても重要な宗教行事です。

イタリア語ではパスクワといわれるこの日は日曜日で、この一週間は各地で様々な宗教行事が

行われる。この時期には「スイートピザ」、「コロンバ」などというあま〜いお菓子がいろいろあるが、

中でも商業ベースでダントツにNo1はタマゴチョコ!


つまりタマゴからはヒヨコが生まれるというわけで、「復活」をあらわすわけです。

ほら、当店の「チキンの塩釜ハーブ風味」も中に卵が入っている事を思い出してください。

イースターの一ヶ月前くらいから、スーパーやバールのショーウインドーを飾るこれらのタマゴ形チョコ、

大きいのから小さいのまで様々あり、カラフルな包みも・・・・・・・・・

シチリアのある村では

その昔オスマントルコの侵略から逃げてきたアルバニア人達によって村が建設されたそうだ。

現在でもその文化、言語、習慣を保持しており、村にはアルバニア語の表示も多いのだとか。

ギリシャ正教のこの村で、復活祭は非常に重要な年間行事のひとつ。特に復活祭最後の日曜日は、

優美な民族衣装を着た村人達がミサを行い、赤い卵を人々に配る。この民族衣装は金糸の刺繍や高価な宝石

などがあしらわれており家族代々受け継がれていく非常に大切なもの。

厳かで美しい村人達の聖行進は島中の注目を浴びている。もちろんイタリア全土の注目も。

イタリアは地方によって実にさまざまなのです。
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Bella l‘itaria(ベッラ・リタリア)素晴らしきイタリア

イタリアってどんな国?・・・・・


イタリアは南北に長く面積的には日本よりちょっと小さめで・・・

南は温暖な地中海に面し、北にはアルプス山脈がそびえ、フランス、スイス、

オーストリア、スロベニアと国境を接しています。

北は氷河の上に万年雪を頂くアルプスが連なっています。
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4807mモンブラン イタリア最高峰

又海岸部は砂浜と切り立った断崖が交互に続きその海岸線はきわめて変化に富む、

  美しく、あるいは表情豊かなことに気付きます。

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コスタズメラルダ サルディニアの美しい海岸 その名の由来はエメラルド色の水
に由来するらしいですよ。


* もちろん景観の魅力だけでなく                             .

* 世界的に有名なイタリア美術が町々にごろごろしていますし、           .

* ローマ帝国建国等を含むドラマティックな歴史。                   .

* セリエAを代表とするスポーツ観戦。                          .

* その昔、都市国家だったせいで、どの都市も独自の伝統工芸をもっています。

たとえばベネチアングラスを代表とする・・・

* 都市国家といえば、イタリアは郷土料理の国といっても過言ではありません。  .

イタリア料理は誰にとってももちろんお楽しみですよね

もしミラノを訪ねる機会があったらモンテナポレオーネ通り付近を歩きなさい。

と・・・世界的なデザイナーの店が立ち並んでいるから・・・

なんてことを世間的に言っているらしいです。


しかし僕的には、何もミラノに行かなくとも地方の町のチェントロ

(町の中心)でウィンドウショッピングするだけでも,とっても楽しいこと

請け合いです。ブランドなんか知らないほうが本当に自分の好きな、

あるいは自分に似合ったものがいっぱいあることに気付くの

ではないでしょうか。        従って

* 忘れてはいけないのがファッションでしょうか・・・・                 .

とりあえず今回は大まかにこんなご紹介でどうでしょうか。

そこで次回からそれぞれの魅力についての独断的トピックスを書いてみたい

と思いますので乞うご期待!!  ・・・・・・ですね。

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イタリアの統一

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(数字はケッコウアバウトかもしれませんので「そんくらい」くらいの気持ちで
読んでくださいね)


実はイタリアが完全に統一されたのは1900年代初頭なんです。

第一次世界大戦が終わりトレント、とトリエステを併合して完全に統一されました。

歴史ある国なので「え〜  」っておもいませんか?

その後ファシズムが台頭して、皆さんご存知のムッソリーニがあらわれるのです。

彼が失脚して、ナチスドイツ占領軍に対する抵抗運動が組織され、連合国がミラノ

に入場した時に占領が終わり、翌年1946年国民投票により現在のイタリア共和国

誕生現在に至ります。


ここに来るまで本当に紆余曲折があったのです。

5世紀ローマ帝国が滅亡。

その後イタリア各地に蛮族が侵入して領土は三つの王国に分裂します。

11世紀ごろ自治都市が出現し政治、社会、文化の分野で大きな変化の時代を迎えた

のです。新しい共通語イタリア語が現れラテン語にとって変わったのもこのころ。

そしてその後に続く時代こそ、人間至上主義、とリナシメント(ルネッサンス)という

イタリア人にとっての黄金期を迎えることになるのです。

建築家、金細工師、彫刻家、画家、詩人、音楽家、技師等、その他ほとんどの

科学分野において深い知識を有する人物がざくざくでてきたのです。

レオナルド・ダビンチ、ミケランジェロなどと言った人物は日本でも誰にでも

知られている人物です。

ヴェネツェアとジェノバが海上を支配して、ロンバルディーアやトスカーナの商人

や銀行家がヨーロッパ全土に力を伸ばしたのですが、このころのイタリアは

たくさんの小国があるだけでしたから、ヨーロッパの列強国にとって

まあ言うなれば格好な餌食だったのです。

一時フランス軍が侵入したり、その後スペインが軍を送りこみ

ミラノ、ナポリ、シチリア、サルディーニアを直接支配することになってしまいます。

その後フランス革命に刺激され北部イタリアからイタリアの統一運動が起こります。

そしてまたまたオーストリア軍に制圧されたりしますが、統一のうねりは拡大し

1800年代中ごろにイタリア王国の樹立を宣言します。その後やっとローマと


ヴェネツェアが併合されます。そして完全な統一は1900年代初頭まで待つことに

なるのです。
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秋風が吹き始めるとイタリアではどんなだったかなあ〜

そうそう果物や野菜あるいは田舎だったら豚を解体して保存食なんか作ったり

山へ出かけて栗やきのこを採ったりと何かと忙しいのです。

日本と違うところは夏休みが終わると新学期です。大人たちは

のんびりとすごしたバカンスが終わり子供たちは楽しかった時間の終わりです。

誰もが気を引き締めて勉強や仕事に打ち込まなければならないとき・・・・・・・

さて家庭では具体的に何をするの?・・・・・・・・

冷蔵庫のなかった時代の大切な、でも楽しい生活の知恵アプリコットやカリンなら

ジャムにするとか、イチジクなら乾燥させてオーブン焼きにするとかね。

野菜なんかはきゅうりやズッキーニ、ナス、パプリカなんかをオイル、ビネガー

ワインなどを使いビンに漬け込んで何でも保存してしまいます。

こうして冬場アンティパストとしてあるいはつけあわせとして食卓を飾り

重宝することになるのです。

もちろん秋は行楽のシーズンでもありますし、男性はショットガンを持って

ハンティングなんてことも。僕も実際ミオアミーカ(友人)のお父さんに誘われたこと

があります。免許も持っていないのにね。

そういえば家に遊びに行ったとき一生懸命に薬きょうに小さな鉛の玉を詰めて

狩の準備をしていましたっけ。

栗はどうかというと、古来ヨーロッパ各地で栽培されてきました。

ご存知でしょうか?

イタリアの栗は品質収穫量ともに有数の生産国でその品種も日本より多い

のです。

街角では焼き栗が実際に炒りながら売られており日本以上に秋の到来を

感じさせてくれる風物詩となっているのです。

私も一袋買って歩きながら食べましたが、これが実際ケッコウ

量が多いのに閉口しました。

価格は日本に比べてかなり安めかな。

秋の行楽といえばそうそう登山の好きな方ならご存知かとは思いますがドルミテ

に行ったときのことが思い出されます

写真があれば掲載したいのですが・・・・探してみますけどどうかな?

何とか2枚だけありました。
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緑の針葉樹林の上をゴンドラが上を目指して静かに進んでいきます。あたりは静寂で

ただゴンドラの音がするだけ・・・降りてくるゴンドラには人影はなくただ静寂の

中をひたすら進む先には赤い山モンテ・ローザが圧巻でした。

皆さんにぜひともお伝えしたいのに文字で表現できないのが大変残念!!





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なんにでも付く姓

ラタイン(ラテン語)系のヨーロッパの言語はみな性を持っています。

ドイツ語、フランス語、スペイン語等   もちろんイタリア語しかりです。

イタリア語の場合名詞の語尾を見るとその名詞が男性・単数・複数なのか

女性・単数・複数なのかを判断することが出来ます。

たとえば太陽 をIl sore イル・ソーレ(男性単数)

あるいは月  をLa luna ラ・ルーナ (女性単数)

    木  をUn arberoウン・アルベロ(男性単数)

といったように性が付いています。何でそうなのかなんて聞かないでください。

それはイタリア人に聞いても彼らは決まって「non lo so」ノン・ロ・ソ

「知らない」なんて言いますから。なんとなしに自分なりの解釈を

することにしていますよ、僕は。それが正しいかどうか知りませんが。

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ところで日本ではコンサートや演劇が終わってその出演者をねぎらう折に

どんな場面でもいつも「ブラボー・・」(男性単数)なんてよくテレビなどで

耳にしますけど本場イタリアではよく聞いていると「ブラバー」(女性単数)

だったり「ブラビー」(男性複数)だったり「ブラベー」(女性複数)だったりします。

このことも、言語にすべて性が付くことを。

気付けばすぐに理解できると思います。つまりこの場合、

歌っている男性ソロ歌手一人だけをねぎらうのであれば

「ブラボーBravo」でいいのですが

これが女性歌手であれば 「ブラバーBrava」となります。

男性のグループ歌手なら複数ですので 「ブラビーBravi」です。


では女性だけのグループなら 「ブラベーBrave」

男性と女性の混合グループならば 「ブラビーBravi」とくるのです。
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不思議なことに、ドイツ語ではとても厄介に感じていたこの性がなぜかイタリア語では

そんな感覚を持った記憶がないのです。なぜでしょうか?

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イタリアの夏

「イタリアの夏ってどんなですか?」なんて聞かれたのでちょっと・・

そうですね。イタリアは日本のように南北に長いのでいろいろあるでしょうけど、

北イタリア、ロンバルディアではとお考えください。

夏と言われて頭に今浮かんだのは、この時季になると

道路の脇に出来るテント造りの西瓜屋さんかな・・・夕方こんな西瓜屋さんで

縁台みたいなのに座りながらメロンや西瓜にかぶりつくなんてことが

ありました。さらに可愛い娘さんが居れば申し分無しです。

「道路の脇にテントで西瓜を売っていて・・

お客さんが縁台で娘さんの持ってきてくれた水で冷やした西瓜にかぶりつく」

な〜んて ちょっと夏の風物詩みたいでいいでしょ。

あとはやっぱりラゴ(湖)かな

いろいろいきましたけど圧倒的に回数が多いのがガルダ湖です。ここはイタリア

最大の湖で3州にまたがっています。このあたりは北イタリアでも温暖

でオリーブ、ぶどうの栽培が目につきましたね。Lago di Gruda

ラゴ・ディ・ガルダの ラゴとは湖のことで、ガルダとはドイツ語から来ている

らしくその意味は要塞とか  写真を見ていただければ納得して頂ける

かとは思いますが。  このあたりはホントに風光明媚でリゾートとしては

まさにうってつけです。
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ここにはシルミオーネと言う、小さな美しい町が有り世界中からヴァカンツァの

観光客で溢れます。でも最近では圧倒的にドイツ人が多いのだとか、故に

ドイツの植民地などと口の悪い人は言っているとかいないとか・・・・

ドイツ語、フランス語、英語と言った様々な言葉に触れることができたり

あるいはギャラリーが開いていたり、絵描きさんが絵を販売していたり

お土産屋さんが軒を連ねていたり

いわばお祭り広場が毎日続いているみたいな・・・そんな感覚でしょうか?

ここに来ると自然と楽しくなってしまうのです。

そうそう車、イタリアでは車のことをマッキナ(マシーン)って呼びます、でここ

まで来る間に彫刻の工房があり時々よって見せてもらっていましたが

このときに買ったのが当店のショーウィンドーにある「水浴びする女」なんです。
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気候的には夏はやっぱり暑いよね。最も日本のように湿度が高くないので

過ごしやすいのですがドイツやスウェーデンと比べると確かに暑い!!のです。

そこでもっと本当に暑さをしのぎたい方にはこちらを紹介いたしましょう。
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そうです。アルプスです。この写真の山はイタリア名「モンテ・チルビーノMt.Cilvino」です。

この山の反対側スイスから見た写真なら皆さんご存知のマッターホーンです。見る側によって

だいぶ感じが違いますよね。

この山は4500mくらいだったと思いますが3000m

位にチェルビーニアと言う町があるのでとにかくそこまで車で行って

その後ゴンドラであがろうってことになりました。どれくらいその町に

着くのに掛かったのか覚えていませんが途中迫り来るこの山の圧倒的な存在感

は今でもはっきり覚えています。この山が荒々しい男なら日本の山々は

優しく穏やかな女性と言ったかんじです。とても残念ですが写真ではとても

その感覚は伝えることはできないようです。さてチェルビーニアに着くとそこは

とても可愛い町で夏場は格好のリゾートになっていて観光客でいっぱいに

なっていました。ここまで来るとケッコウもう涼しいので避暑にはうってつけです。

傍らには高山植物のお花畑で可憐な花々がいっせいに咲き乱れて

高山植物やハーブって何時も思うのですが自然と人を癒してくれるようです。

けなげに咲いている姿がホントに人をひきつけますよね・・・・・・

流れてくる小川の水に足をつけると、足がしびれるくらいに冷たい。

見上げるとマッターホーンが聳え立ちせまりくる。

ゴーゴーと言う水の流れる音が聞こえてくるけどその姿は見えません。

それもそのはず雪解け水は氷河の下を流れているので見えないのです。

さて更にもっと涼みたい方には・・・・・・・・

そこからはゴンドラに乗りいざ氷河のあるロッジに・・・

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暫くしてロッジに到着一面に氷河が広がっていましたよ。

何人かはスキーをしていましたしあるいは日向ぼっこをしている人も

しかもビキニで、確かにそのときは8月ですから季節的には可笑しく

ないですけど・・・・

でもこれくらいの高さになると雲にちょっと太陽が遮られた

だけでホントに寒いんです。

ここから先はスキーがないと進めませんがもし進んでいけばスイスに

出ることが出来るのです。氷河で峠越えってことです。

ヨーロッパは皆繋がっているんですね

ということでここは夏涼みたい方にお勧めです。!!

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イタリア人の国際感覚?

一般にイタリア人は、その昔都市国家での生活だったせいかその土地に生まれると

その土地を出ないで生活している人がケッコウいるように思う。フィレンツェ、

だって、ミラノだってベネチアだって行った事がないとか、就学旅行のとき

一度っきりなんて人だってケッコウいる。いきおい自分の家族、自分の町が

とにかく一番みたいな話になってくる。
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こんなことを考えると日本人くらい外国に興味を持ち外国の文化を取り入れ

外国の評判を気に掛けている国も又世界にないのかもしれないですよね。

イタリア人が日本について知っていることと言えばバイクのホンダ、カワサキ

そして漫画の国くらいでしたね。

30代のイタリア人が久々にフレンツェに行ったら日本人観光客で一杯なのに

驚き「皆自分たちと同じような衣服を着ていた。信じられない!」なんて

冗談とも思えることが

正直な一言だったりしたのです。

「日本は今でも江戸時代か?」 なんて言いたくなります。
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僕の友人はイギリス留学経験があるので多少英会話ができるのですが

その友人の友人はそんな経験がなかったので、あるとき

僕に「あなた英語話せる?」lなんて突然聞いてくるのです。

遠い東洋の端っこの国の学校で習った程度の語学力なんてヨーロッパの

人たちの語学力に比べたら「ほんの少し、ほんの少し」って言っていてちょうど

いいということは知っていたので(実際ドイツやオランダなどでこういう

言い方で何とか、ことなきをえてすごしてきたので)同様に「ほんの少し」

って答えたら、彼女いわく「私なんて、英語の一言だって知らない。」

なんて言ったもんです。  

多分、日本では国際語といったら誰でも英語と信じて疑わないとおもいますが。

ヨーロッパではそんなことはないのです。仮にそんな事実があったとしても

英語が国際語なんて認めないでしょう。

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そうなんです。じつは、イタリアでは

学校での外国語選択のとき英語ではなく、むしろフランス語

の選択やスペイン語、ドイツ語のほうが一般的なのです。

しかしようやく近年になって

政府は英語の重要性を感じて英語教育にも力を入れているときいて

います。

子供が家庭で学校で習ったばかりの英語を使おうものならお年寄りが

「ここはイタリアだぞイタリア語ではなせ!!」なんて声がきこえて

来るのだとか。

分かるような気がします。ドイツでは良くそんなことがありました。

そりゃ自分の町を出たこともない人にとって英語なんて関係ありませんから!

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爪楊枝とイタリア

最近ヨーロッパイタリア旅行から帰られた方達が増えるにつれイタリアで綺麗な

爪楊枝のパッヶがあったので買って帰ったら後ろにMaide in Japan って

書いてあってがっかりしたなんて話を聞いたりします。

そうなんです。イタリアでは日本の爪楊枝が人気で日本製でないと売れないのです。

要するにブランドなんです。実際にブラダやグッチと並んで爪楊枝が

ファッション誌を飾ったりするのです。

と言うわけでその名前は「SAMURAI」なんて名前が付いています。

あるいは「SAYONARA」「OOSAKA」なんてものもあります。

oosakaは生産地が大阪府河内長野市であることから来ているのでしょう。

ちなみに爪楊枝をイタリア語ではシュトゥツェカデンテStuzzicadentiって言います。

日本の楊枝は白樺の木を湯で煮てあり適度の柔らかさや柔軟性があるのが

よいのでしょうか。

名前についてはイタリア人が日本をイメージした時に浮かぶのはやっぱり

サムライなんですね。あるいは誰にでも分かる日本のイメージを考えると

こうなるってことなんでしょうか。

その昔全米でのヒットチャートNO1に輝いた日本の歌謡曲「上を向いて歩こう」

はアメリカでは「すきやきソング」だったことを考えると

正解だったのかも知れません。

しかし問題もあるのです。

生産地が大阪府河内長野市であることは前記で触れま

したが実は爪楊枝の

会社は今では日本で1社になってしまったのです。其れは昔はこの地は産地

として複数の会社があったのですが一番資本力のある会社が中国に工場を移し

たことにより極端な価格低下を招き、他の会社はすべて倒産してしまったのです。

この会社も近年国内では生産することなく国内では販売店として存在してい

るとのことです。

ともあれ現在は世界で唯一オンリーワンとして「三角楊枝」なるものを

製作できる工作機械を作り上げ国内生産しているのだとか。

この楊枝の特徴は普通のものは先が円錐で歯茎を傷めるのですが、三角楊枝は

先が三角垂で歯茎を傷めることなくむしろ歯茎をマッサージしてケアーする

デンタル用品として今ヨーロッパで注目されているんだとか。

ブランドといえば今、もうひとつ意外なブランドがあります。それは「SUWADAの爪きり」です。

そうです三条市スワダ製作所ですよね。世界一の切れ味が受けてミラノのブランドショップで評判なのだそうです。

僕なんかの時代は爪切りといえばドイツの双子印、ご存知ゾーリンゲンが有名でそのスタイリッシュな

形と便利さ(携帯することにおいて)で一番人気だったように記憶していますが・・・・・

時代が変わったのでしょうね・・・・・

そんな先進的爪楊枝の国日本とイタリア及びヨーロッパの

意外な係わり合いに注目です。

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イタリア日記その2「PEROぺロ〜」

たまに会話がイタリアのことに変わり

その内容がイタリア人の性格に及んだりします・・・

たいがいは「快活でオープン良くしゃべりよく食べる」な〜んてことで一致します。

まあ僕に言わせてもらえば・・・

たとえば相手を喜ばすことが好きなくせに

最後に一言言わないと気がすまない あんた 君 的な性格でしょうか。

イタリア人が良く使う言葉で「PEROぺロ〜」って言葉があります。

この言葉がイタリア人の性格を象徴してはいないかと・・・

こんなことがありました。

みんなの依頼で友人のうちを借りて僕が日本食をみんなに振舞うことになりました。

そのときのメニューは

牛肉のお刺身  海苔巻き寿司  スパゲッティのカレーソース

なんかでパーティは大いに盛り上がり・・・話はスパゲッティの段になり

せっかくみんなからお褒めの言葉をいただいているとき・・・一人が

こんなせりふを「いや〜あのソースはすごいね、いったいどうやってつくったんだい?

PERO(ぺロ〜)やっぱりスパゲッティは旨いね!!」

話はそうなるか・・・ほんとはいったいどっちが旨かったんだい?

ソースか? スパゲッティか?

つまりどんなに褒め言葉や肯定的な言葉があってもその後にPEROがつくと

その後には否定的な言葉が大口を開けて待ち受けているのです。

あな、おとろし〜

相手を喜ばせたいと言う気持ちから

相手に合わせながらも・・でも結局は

合わせたその意見を覆すような・・一言を

いわずにいられない厄介極まりない  そんなイタリア人の性格  を

この言葉「PEROぺロ〜」がよく表しているのではないかと・・・・

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ユーロ(欧州通貨)

今ヨーロッパはユーロに切り替わり,随分と便利になったと聞きます。

(もちろん変わらない国もありますが。たとえばイギリス、スウェーデン、デンマーク

などのEU圏内にありながら現在も切り替わらない国もあります。)

確かに国境を越えるとエクスチェンジ(通貨交換)に行くなんて面倒な

作業は無くなった訳ですのでラクチンだと思いますよ。

でもその反面、どこの国に行っても同じ通貨だと思うと同じ国に

いるようで

なんかちょっと以前のヨーロッパを知っているものにとっては、

味気ないような気がするのです。(生意気にねえ!・・・・・・・)

なぜって、それぞれの国の通貨を見て楽しむこともできませんし、写真とかお土産だけが

旅行の楽しみではないはず。

たとえばドイツ通貨のマルクは紙質がよくて重厚さが感じられ、いかにも

ドイツらしいとか・・・・

フランスフランは色彩デザインがとても美しくて

・・・でも紙質がぺらぺらで安っぽい・・・「う〜んやっぱりフランスだ!」と

が思い出されます。下の映像はフランですが

大変残念なことに縮小してしまうとその美しさが伝わらないようです。ほんとにざんねん!!


オランダのギルダーは当時としては珍しく指で触って確認できる紙幣で

「さすが社会システムのお国」なんて思ったものです。



ユーゴスラビア(現クロアチア)はディナール



とハンガリーはフォーリントで


小さな紙幣を使っていましたので、「紙の節約なんだろうか」とか・・・・

一方でスウェーデンのクローナ紙幣はやたらとでっかくて、「お国の

おおらかさを表しているんだろうか」なんてね・・・勝手に大いに想像をめぐらすんです・・

上の映像は実際のお金をスキャナーで取り込み縮小してありますがその大きさや
色合い、美しさなどを表現するのは難しいようです。

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Veneziaヴェネツェア

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(リアルト橋)

ヴェネツェアについて書くのはなんどめでしょうか?前回は確か

交通機関に関して、バスが遊覧船(バポレット)で、もう少し簡易な交通手段

は渡し舟(トラゲット)と言うことなどを話したかと思います

ベネツェアはもともとラグーナと呼ばれる干潟でそこに松の丸太のくい

を何本も(具体的には1uに9本)を底の固い地盤まで打ち込みその上に

カラントと呼ばれる石材を積み重ねて家や道路を作ったのです。つまり

ほとんど気の遠くなるような数の丸太のくいがこの街の下に存在する

のです。そんな木の杭なんかであのような壮大な建築物が支えられ、よく腐らない

もんだと思いますよね。ところが木の杭を泥の中まで打ち込むとその上には水が

ありますから木は空気に触れることが無いため腐らないのだそうです。

ということでここの建造物は500年から1000年の歴史があるのだそうです。

それにしても何でわざわざ干潟の上なんかにと思いますけどその当時の都市国家

というものは常に外敵の脅威にさらされていて高い外壁を作ったり山の

上に街を作ったりと外敵を防ぐために多大な経費と労力が掛かっていたのです

ヴェネツェアでは水上に街を作ることで外敵の攻撃を防いできたということなのです。

この街では造船所(アルセナーレ)があり

造船の技術が発達しました。同時に部品を統一して同じ人が同じ

ものを作ることにより大量生産と時間の短縮を成し遂げたのです。

そして水上のこの小国がアドリア海の女王と呼ばれるほど長きにわたって

繁栄した経済基盤は何だったのでしょうか?

最初は香辛料貿易の重要な交易港として多大な財を成し、しかしその後

アフリカの南を通る航路が発見されるとベネチアングラスの産地として

あるいは刺繍の産地として栄えました。高付加価値の製品で街を支える

というのは、たとえばベルギーのブリュッセルのギルドにおける

タペストリー(絵や風景などを鮮やかな糸で織り出したつづれ織りのことで

壁掛けにします。)実は僕自身とても気に入った壁掛けを見つけて何回も通い

ついに買ってしまった経験があります。当時ケッコウ高かったと言う記憶

が残っていますけど。これなどもその気の遠くなるような精緻な仕事振りを見ると

高いのは当然という気になってしまします。

当時の有力な豪商家は現在豪華ホテルとして営業していたり一部実際に

家屋として使われていたりするようです。



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(サンマルコ広場)
近年地盤沈下の影響もあって年にある時期何度かこの有名な広場が浸水
してしまいます。

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イタリアの台所その1

いきなりですがイタリアの男はケッコウ料理好きです。仕事場で「俺ならあれはこんな

風に調理するぜ」と誰かが言えばほかの誰かが「いいや俺ならこうだ」などといい始める

のです。あるとき友人が自宅に招待してくれたのですがそのとき誰が食事の準備をするの

聞いたら「今日はパパが作ってくれるっていってたよ。うちのパパは

料理が上手だから。」とのこと。確かに友人の言うとおり食べてみるとおいしかったの

です。いつも家庭での料理を見ていると台所にまな板が無かったりするのです。それは

必ずしもまな板が無いのではなくどこかにしまっていて使わないとか、あったのだけれど

何所に行ったかわからないとか中にはまったく無い家庭もあるようです。まあ日本でも

最近はまな板も包丁も無い家庭があるということを聞きますけど!

しかしイタリアでの事情はちょっと違っていてそういう無い家庭が料理を作らない

とかできないのではなく必要としていないのです

皆さんもTVなどで見たことがある

かと思いますがほとんど野菜は手の上で

鍋の中にきりおとしてしまうからです。魚は魚屋さんで切ったり削ぎ切りに

してもらうとか肉は肉屋で切ったりメンチにしてもらうため必要ないというわけです。

ですからたとえば玉ねぎの微塵切りなどでも、くし型に切った玉ねぎをテーブル

ナイフで横方向にカットしていくというもので, 当然私なんかには微塵切りには

見えません。しかしそんな小さなことにこだわらないのがイタリアらしいところで

もあるのです。

当然このときに使われるナイフは切れ味の限りなく?悪そうなギザギザの歯の付いた

ものが重宝がられます。魚の頭や尾を落とすときにはハサミが大活躍です。

チョッキン、チョッキンと切り落としてしまえばいいのですから。

以前にも言ったことがありますがイタリアでは特に大きな魚マグロやカジキ

のようなものは切り身にしますがほとんどの場合丸ごと使うことが多いのです。


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イタリアの生活、歴史、出来事、経験、の「あれこれ」
イタリア以外の「あれこれ」をご紹介






8/15のぶんです。   夏のベネチア

A
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(サンマルコ広場 左側の建物はドカーレ宮殿 からサンマジョーレ島
<多分そんな名前だったと思いますけど間違っていたらごめんなさい>を望んで。)

観光というと帰国前に最後と言うことでローマやナポリなどをまわっ

たくらいで、当時あんまり興味なかったんですよ。    一方で

友達と遊びのためには、あっちこっちに行きましたけど

基本的に観光らしきことはほとんどしなかったのですが・・・・

ベネチアだけは何度か行っていますので結構観光客していたと思います。

この頃は日本からカメラを送ってもらい一眼レフ等の交換レンズなども

使って撮影を始めました。でも何時も時間が足りなくて・・・・って言うか

マイペースなだけかも。

B
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(上は ためいきの橋 とよばれています。
実はこの橋を渡ると反対側の建物は牢獄なのです。囚人はこの橋から
最後の夕日を眺めてため息をついたのだとか)


ヨーロッパには水の都などと呼ばれている都市はいくつか有ります。

いづれも街に運河が走っていて、私の訪れた、ストックホルム、

アムステルダムそしてベネチア。それぞれ大変美しい街です。

しかしその特異性においてVeneziaべネツィアに勝る街を知りません。

街全体が世界遺産で道路は運河で、バスは水上バス、

C                        D
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(左のモーターボートがタクシー           右が水上バスの中です。)

Taxiタクシーはモーターボート、日本ならば観光人力車がゴンドラ

といった具合に徹底しています。

冬の仮装カーニバルも観光客で一杯になりますが夏こそ観光の

本番で世界中からの人々でどっと溢れます。

これはホントに凄いですよ。さながら人種の万博のよう何て言ったら

叱られますかねえ!

E                             F
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あんまり観光していない僕が言うのは変かも知れませんがイタリア旅行

されるなら是非ともVeneziaに行かれる事をお勧めいたしますです。ハイ!

そして許されるなら時間的余裕が欲しいですよね。

サンマルコ広場のBarバール(喫茶店のこと)のテラスで ボ〜 と時間を潰す

G
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(Aの写真の対岸のサンマジョーレ島<?>から逆にサンマルコ広場を望む)

とか。チェントラーレ(ベネチア中央駅駅)から徒歩でサンマルコ広場まで

ゆっくり散策するとか、ゆったりとした時間を過ごしてこそ見えてくる

イタリアがあるとおもいます。

お時間のある方は是非一度お試しください

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   シチリア島
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以前塩の話で出てきた南イタリアの最南端の島シチリアについて・・・そう人口は

500万程度現在は観光と農業の島と言った印象があります。しかし其の歴史を紐解けば

本当に激動の歴史なのです。即ちローマ、東ローマ帝国、アラブ、ノルマン王朝、アン

ジュー家、アラゴン家(スペイン)と様々な国や王朝の支配を受けてきました。

故に様々な食文化と土着の文化が入り混じり今日のシチリア食文化が育まれたのです。

そしてここにイタリア料理の2大潮流が始まったと考えられているのです。其のひとつは

クチーナ・リッカ(金持ちの料理)、そしてもうひとつはクチーナ・ポヴェッラ(貧乏人の

料理)です。アラブからは豊富な目新しい農産物が其の栽培方法と共にこの地にもた

らされました。シナモン、カルダモン、サフラン、米、柑橘類、サトウキビなどなど・・・

スペイン統治時代にはあの過度とも思えるようなバロック建築と共にドルチェ(デザート)

を初めとして様々な料理に華麗なデコレーションが施されました。Pan di Spagna

ビスキュイ、ジェノワーズ(現在のスポンジケーキ)などもこの時代だといいますので

おどろきです。私などてっきりフランスのものかと思っていましたからねえ・・・

更に、Sorbetto(シャーベット)、Cassata(カッサータ)、Torroncini(ヌガー)などもそう

だそうですから。ノルマン統治時代にはBaccala( 塩漬け鱈)、Stoccafisso(干し鱈)

などが入って来ます。何でイタリアに塩漬け鱈なんかがと何時も思っていましたが・・・

ノルマン人とは北欧バイキングの末裔ですからなるほどと納得したのでした。そして

もっとも重要なのはアラブの影響です。あの有名なマルサラ酒、良く料理やデザートに

使いますがこれは都市の名前でMarsalaからきています。そしてこの都市名が

実はMars Allah(アラーの町)が語源だそうですよ・・・シチリアの首都パレルモには

モスクが立ち並び・・・・・・・・教会があり、古代ギリシャ風の野外劇場があり・・・・・・

ほんとにシチリアはイタリア本土と違い日差しが強く植物も違い、サボテンなどが

生えていて春先など誰もいない野外劇場で寝そべっていると地中海の風が

ほんとに心地良いのです。時間が止まってしまったようなそんな気分になったことが

ありました・・・・・・・・
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イタリア料理ってよく分からないのですが大丈夫ですか?   .
どんな注文の仕方をしたら良いのですか?







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