Chiacchirata(雑記ノート)

        イタリア以外のあれこれ 1
           *・ おことわり
            文中の発音表記と数字について


私が当時使っていたもの( 発音)をそのまま表記しています。要はそれで事足りていた
ということです。それが正しいのかどうかはわからないので・・・ご理解くださいませ。
数字に関しても大体そんくらいかなと・・・とまあ大まかな気持ちでいてください。


「オランダ」・・・・つぶやき
当時とても盛り上がっていたワールドカップ・・・次の相手がオランダ大変な相手です。さてオランダといえば思い出すのは
ほんとに牧歌的なお国なんです。 そういえば以前  「発展は運河と共に オランダ」のところでいろいろ書きましたね。
そして不思議とみんな大きな人ばっかり、勿論女の子も例外なく。    そうそう大きいといえばその
次に当たるデンマークも大きな人ばっかり。         どちらも酪農国でやっぱり食い物のせい?


INDEX

1・Euro musicc ユーロ・ミュージック   2・おもしろ外国語!!

3・ノーベル賞とストックホルム    4・スウェーデンの秋   5・ スウェーデンのクリスマス

6・発展は運河と共に オランダ

7・ドイツ人的気質など    8・ 9/20 ドイツワインの産地モーゼル河岸    9・オクトーバーフェスト

10・ドイツにはお笑いがないの?


Euro musicc ユーロ・ミュージック

最初にヨーロッパに渡ったころいろんな音楽が耳に入ってきました。

当然言葉は分からないのですが、聞けないような音楽がないことにとても驚きました。

というか みんないい曲に聞こえたのです。ドイツでもイタリアでも


そして当時ドイツでは,ダンスの踊れないような音楽は基本的にまずヒットしませんでしたね。

音楽にはいつもダンスが付き物で、いつもセットでした。それはどんな地域に行っても必ずどこかで

○月○日何時にダンスを行います的な張り紙が容易に見つかることからも見て取れます。

ホテルのホールだったり村の集会所だったり、昔の馬小屋だったりとさまざまな場所で開催されます。

そこには老若男女が比較的ラフなスタイルでお相手を連れて集まります。あるいはお相手のいない人はそこでお相手

を探す社交場でもあります。つまり、音楽は聴くものというよりダンスを踊るためや、

人との関係を結ぶための大事なツールであったんです。

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話は音楽から外れますが、若い方でこれからヨーロッパに渡ろうとする人が「向こうで生活を楽しむためには何が一番大事ですか?」

って聞いて来られたら、迷うことなく「社交ダンスができること」ってこたえますね。  2番目に言葉。

3番目は日本人らしい何かを持つと、とってもいいと思います。

何でもいいんです。たとえば折り紙が出来るとか、生け花が出来るとか、柔道や空手や合気道なんかも

有名ですから、剣道なんかも結構いいですね・・・2段くらいの段位を持っていれば向こうではなかなかいませんから

人に教えることも出来るでしょうし、かなり強いアドバンテージでしょう!

話を戻しますがドイツでは日常の中の音楽とダンスの結びつきは強く、飲むと、とてもよく歌うし、歌うと

必ずといっていい程ダンスがつきます。 以外や、飲むと驚くほど陽気になります。普段の生活の反動でしょうか?

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自分の履歴とかさなり・・・・・

ドイツ音楽ではありませんが皆さんがご存知のABBA アバ はユウロビジョンの音楽大会で優勝して(

Waterlooワーテルロー)一気にスターダムへ駆け上がりました。

彼らのデビューはほんとに衝撃的でした。それまでのユーロミュージックから考えてね・・・

自分にとってほんとに記憶に残る、思い出のよみがえる曲なんです・・・・

まあどれもだいたい楽しい音楽が多かったのですが、Boney M ボニー・エムなんかもよく聞きましたよ。

Arabesqueアラベスクは日本の方が、ディスコブームとあいまって人気があったと聞いています。

涙が出るなんて曲もそれはそれでいいんですが  楽しい音楽は疲れをとり明日への活力になるように

おもいます。

何でも楽しくさせてしまう音楽ってすごいですよね。

お若い方でもしご存じないならぜひ聞いて楽しまれてはいかがでしょうか?

You Tubeで検索すれば直ぐに聞くことができます。ほんとにいい時代になりました。

今聞いてもまったく色あせていませんね。

ちなみに当店のBGMはCanzoneカンツォーネが中心ですがこういったユーロ音楽も時々流しています。

リクエストしてくださればお掛けすることも出来ると思います。

ちなみにBony Mボニー・エムでどんな曲が掛けられるかといえば

1・Rasputin ラスプーチン                   .
2・Bahama Mama バハマ・ママ               .
3・Belfast  ベルファスト                   .
4・Daddy Cool  ダディ・クール                .
5・Ma Baker  マー・ベーカー                .
6・One Way Ticket  ワンウェーチケット          .
7・River of Babylon  リバー・オブ・ベイビロン       .
8・Braun girl in the Ring  ブラウンガール・イン・ザ・リング
9・Hooray Hooray  ハリー・ハリー             .
10・Sunny   サニー                       .

以上が曲名ですよかったらどうぞ!どれも名曲だと思います。

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おもしろ外国語!!

なんとなく使った日本語がその国の言葉として捕らえられたり,或いはある外国語が日本語のように感じたり

して「え〜 !」なんて思ったりすることがありました。                                 .

たとえばドイツ語で「あ、 ぞ〜」なんて言葉をよく耳にしましたがこれは日本語の「あ、そ〜」とほとんど    .

同様な使い方をしますし、意味もおなじようですよ。これを聞くとなんとなくドイツ語に親しみを感じたものです。

そんなわけでついつい、つたない会話の中で混同して使ったりしてね・・・・


笑い話の中によく出てくる話なんですが・・・・

日本からドイツに来たばかりのニューフェイス(新人駐在員)が、どうしても我慢できなくて急いでトイレに駆け込んだと

きのこと・・・・・ドアノブに手を                                                  .

かけてドアを見たところ「Heren」と書いてあり、これを「へーれん」と読んでしまったので入れないのかと思いもう一方

のドアノブに手をかけてドアを見たところ、今度は「Damen」と書いてあったので「だーめ」と読んでしまったのでやっぱり

だめなのかと思い途方にくれたという小話です。実はドイツ語では「Herenヘレン」とは日本的に言えば殿方を意味して

男性を表します。 一方、「Damenダーメン」とはご婦人を意味して女性を表すことを知らなかったのです。


こんなのもあります。

イタリアにはこんな名前のパスタがあります。「Scheveningen」スケベニンゲン。

すごい名前って思いませんか?もちろん、日本のような意味ではありません。

実は、この名はオランダの有名なリゾート地の名前なんです。   しかもオランダでは

こんな発音ではありませんよ。なぜならドイツ、オランダでは「Ve」を「ヴェ」とは発音しません。英語で言えば「Fe又はFa」

の 発音です。   車好きの方なら誰でも知っているドイツ車名フォルクスワーゲンを「VW]と書き「フォー・ベー」

と発音します。    ということでオランダ読みにすれば「スヘフェニンゲン」もしくは「スへファニンゲン」

が近いと思いますけどね。  でもでも、日本人は誰でも喜んでスケベニンゲンって発音します。


では極めつけ・・・

僕の知人で OO勝雄 さんって方がいましたが、イタリアでは人前で決して「カツオ」なんて事を言えません。

人がいっぱいいるところで、彼の名前を呼ぶときにそのまま「カツオ〜」なんて声を上げようものなら

大変なことになってしまいますよ。なぜならイタリア語で「カッツオ」って言えば 男性自身 を意味するからです。

ですから彼は同じ意味を持つ名前である勝利という意味のVittorioをもらってヴィットリオということに

なっていました。  めでたしめでたし・・・・


さらにさらに                                                   .

イタリアでは乾杯を「チンチン」って言うんです。   慣れるまで時間が掛かりそうでしょ。

  ああ〜楽しきかなイタリア語! ビバ!イタリア!!




ノーベル賞とストックホルム

明るい、希望を抱かせるニュースが飛び込んできました。

「日本人がノーベル賞を受賞!!」

確かストックホルムとその市庁舎の写真があったはずと思い浮かべ探しました・・・・・・ところ

出てきましたよ。     ん〜十年前のストックホルム市庁舎、そうノーベル賞授賞式をおこなうところです。


ストックホルム市庁舎概容
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中庭かな
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授賞式は多分毎年12月に
「青の間」と確か「黄金の間」のどちらかでなされると思いますが
何せもうどちらだったかよくおぼえていません。


どの部屋がどの部屋かも良く分かりません。残念ながら
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話は飛びますが人口対ノーベル賞受賞率を論じるとき世界一の受賞率を誇るのは実はハンガリーなんです。

もちろん、たまたまですが、このことを考えるとき、僕はスウェーデンでもハンガリーでも暮らしていたことを

なんかとってもふしぎな巡り合わせを感じます。  


**うんちく***
ところで昔現地で使っていたスウェーデンの表記はKonungariket Sverige (スウェーデン王国)
コゥーネゥンガリケト・スヴェリエ

ハンガリーの表記はMagyar Koztarsasag (ハンガリー共和国)マジャル・ケスタールシャシャーグ
これは実際難解です。

そこでもっぱら通称としてのMagyarorszagマジャルオルサーグ

のほうを使っていました。このマジャルとはマジャル人のことでハンガリー人の70〜80%くらいたぶん
を占めるところからこの名がついたのかな・・・・

日本にいる日本人が自国のことをジャパンって言わないように

現地では(ハンガリーでは)マジャルオルサーグって言うわけです。

最近はそうでない人もいますけどね!「ジャパンを背負っているからには勝たなければいけない」とかなんとか・・・



さて市庁舎はこのくらいにして町をちょっと かる〜く散歩して見ましょう

一度だけでしたけど観光目的でストックホルムのツアーに参加したような記憶があります。


以前ベネチアのところでも言ったころがあると思いますけど
ストックホルムもまた、水の都としてその名を世界に知られています。
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夜景を撮ってみました。
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さすがにその名に恥じない水の都です。

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 市内のようすです。    車が少ないですね〜
なんか普段はもう少し多かったような気がしますけど・・・・・・こんなもんだったのでしょうか

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確かお国の面積は日本より少し大きく人口は日本の1/10以下だったと思いますから

とにかく人口密度が低いのです。


スウェーデンの秋

この時期スウェーデンでは庭のきのこを取ったり・・・・・

庭に勝手に食べられるきのこが生えるんです。スウェーデン人は食べませんけどね。

あるいは良くやったのは海岸の岩場からルアーを投げてスケソウ鱈をつりに行ったことかな。

スケソウ鱈はたとえば日本なら沖合いでしか捕れませんが、寺泊などでは、沖合いで深さ150m

位が魚場となります。

しかし、スウェーデンではどういうわけか岸辺までやってくるのです。それはもしかしたら地形の違い

、スウェーデンの地形や緯度、海水温の違いなんかもあるのかもしれません。

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朝早くたぶん5時くらいだったでしょうか。近くの海岸に一人で出かけ沖に向かってルアーを投げ入れます。

最初はまったくあたりはないのですが・・・ ある時間が来るといきなり釣れだします。その後はもう

入れ食いじょうたいです。しかしその後 1時間もするとばったりと釣れなくなります。

ですからいかに早く魚をはずしてまた投げ入れることができるかが、勝負

となります。

こんなにつれるのに、私以外につりをしてる人はいないので魚はその辺に釣りっぱなしにしておきます。

でもほんとは、釣った魚はすぐに棍棒で魚の頭をたたいて殺さなくてはならないのです。そうしないと

動物虐待になってしまいます。この辺がスウェーデンらしいところですね。

でも僕は時間がもったいないし、誰も来ないことはわかっているのでほったらかしでおくのです。

そのほうが数つれますもん。

ルアー以外には海のミミズを使いました。どんなものかといえば日本で言えば「鉄砲ジミ」なんて僕は

子供のころ言っていた大ミミズが透き通ったグリーン色になったものと思っていただければ良いと思います。

それをどうやって採るかといえば、潮が引くと砂浜が現れるのでそこをよく観察すると小さな穴を見つけ

ることができます。そこを二人で シャベルを持ち見つけた小さな穴を中心にして向かい合い

両方でシャベルを縦に差込みその後シャベルの柄を両方同時に寝かすことにより、砂の下30cmにいる

ミミズを掘り起こすのです。このミミズは万能で何でも釣れます。

さて、持ち帰った鱈は一部はお刺身にして食べます。これが実においしいのです。

初めて鱈がお刺身で食べれるなんて知りましたね。

残ったものはすり潰しハンペンにして食べます。びっくりするほど弾力があり美味しいのですよ。

そりゃ〜そうですよねとびっきり新鮮で100%スケソウの白身ですから日本にいたってなかな

たべれませんよね。




12/20修正版   クリスマスと言えば

スウェーデンでのクリスマスは印象に残っていますね。そこは

ダンスホールのようになっていて、更に生のバンドが入っていて音楽を楽しみながら

ダンスも出来てそして日本で言うところのバイキング料理がタップリと楽しめる

といった趣向が用意された施設でした。先ずお断りしておかなければいけない

ことがいくつかあります。「バイキング料理」と言うのは日本だけの名前で

この言葉が通じるのはホント、日本だけなのです。正式名は「スモーガスボード」

っていいます。そしてここが大事なところですが日本ではともすれば食べ放題

と同義語に取られ、とにかくお腹いっぱい食べれるのが主目的みたいにとられて

いますが実際にはそんなことはないのです。  いえ、むしろありえないのです。

相対的に日本のバイキングは平面的であるのに対して

スモーガスボードは立体的でバラエティーに富みスケールがでかい。

最初に書いたように、こういう飲食スタイルが常時あるということではなのです。

パーティーやお祝いなどで人がいっぱい集まって(100人単位とか)ダンスが

出来てライブが聞けると言うような事を満たすには確かにスモーガスボードのような

飲食形式が大変合理的なんだと思います。ライブを聞きながらダンスをしながら

好きなときに好きなものをいつでも自由に飲食できるのは楽しいものです。

しかし、決して元を取ろうとかいっぱい食べなきゃ損とか言う考え方だと

「時間を楽しむ」なんてことはとても出来そうにないですし

食が貧しくなってしまいます。              私はといえば、

この後あるご家庭のホームバーに招待されて楽しい夜を過ごさせていただきました。

寒い所ほど住環境が温かくて家の中では楽しく過ごそうと考えているようです。

スウェーデンの冬とアイリッシュコーヒー
北欧の冬はほんとに寒いのです。新潟県人が知っている寒さでは在りませんよ。
厳しいと言ったほうが正確かもしれません。こう言う所ではやはりからだの芯から
温まるものが必要です。そこで今回登場するのが北欧で良く飲まれている
「アイリッシュコーヒー」です。

実際筆者もスウェーデンで知り合いのご家庭で夕食に招待されたとき
旦那さんが夕食の後作ってくださったものを再現しました。
要するにホットコーヒーにアイリッシュウィスキーとお砂糖を適量入れ
その上に生クリームを浮かべて飲むのです。これは確かに温まりますよ!

あ  それからちょっと話は脱線しますが  北欧の食器は花柄が多いですよね。
それは長い冬から早く春になってほしい、春に対する憧れが花を描かせている
だと思います。あの厳しい冬の中に身を置けば・・・共感できますよね・・・

脱線ついでに・・・知り合いの方とは日本女性の方で旦那さんとは神戸で知り合った
のだそうです。旦那さんは船乗りだったそうです。「スウェーデンでは日本人の知り合い
がいなくて久しぶりに日本語がしゃべれてうれしい」と言っておられました。
そう言えばハンガリーの片田舎でやはり現地人と結婚した日本女性と
あったことがありました。当時は大都会のブダペストでも日本人にあうこと
なんてなかったのに・・・びっくりしましたね。あらためて女性の適応力はすごい
と感じたことでした。
 し しまった〜  脱線しすぎ〜〜



発展は運河と共に オランダ

ヴェネチアは街中が運河ですが、オランダは違った意味で国中に運河が走っています。

それが街の中であろうと郊外の田園地帯であろうとも。
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アムステルダムの街のなか

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アムステルダムの夜景  運河に係留されたボートやヨットのマストらしきものが見えます。


有名なもののひとつはといえばやはり世界遺産にもなっているキンデルダイク

でしょうか。其の語源は国土の70%が海面より低い干拓地(ポルダー)なので

よく洪水になりました。その昔洪水が引いた後の堤防の上に子供のゆりかごが

残っていたというところからKinder(こども)ダイク(堤防)・・キンデルダイクと

呼ばれるようになったのだとか。

ドイツにいた頃良くオランダに行きましたが車で走ると大概脇には運河が道に沿って

存在します。つまり道路は堤防でできているってことでしょうか。

良く知られたことですがオランダの国土はもともとあったものではなく干拓に

よって造られた国土です。低い湿地の水を高い土地にくみ上げて排水することで

利用できる土地をひろげてきました。其の時に活躍したのが風車です。

シチリアのトラパニの風車が海水を汲み上げて塩田に使ったことを考えると

風車の力をおもいしらされます。              蒸気機関が発明

されるまではおそらくは最大の動力だったのかも、しかもそれがなんと産業を育て国土をも

つくり出してしまうなんて驚きです。何せ燃料を必要としませんからほんとにエコですし。

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キンデルダイクの風車


さて実はこの風車による灌漑の技術が造船の技術につながりオランダが世界に

羽ばたくことに繋がっていきます。

江戸幕府は鎖国していたのですが唯一オランダだけは交易していたことを


我々は学校で習ったわけです。幕府が最初の蒸気船を発注してこれを作ったのが

オランダで作られたところがキンデルダイクだったのです。

その名前は咸臨丸(かんりんまる)でNHK大河ドラマ「篤姫」にも出てきましたので、

ご存知の方も多いのではないでしょうか?


ドイツもそうですがオランダも町を外れるととても牧歌的な風景が広がります。

そんな中で特に癒しを与える

この風車のあるキンデルダイクは其の歴史的意味合いから世界遺産

に認定されたようです。

まあそんなこととは別にオランダの家はガラス窓が大きく、でもカーテンなどは

つけづに、とてもオープンでどうぞ皆さんご覧くださいといわんばかりなところが、ドイツと

正反対でとても面白いのです。ドイツは窓は小さめで必ずカーテンがかかりなかを伺うことは出来ません。

家の内部の設備もオランダとの違いをみつけることが出来ますし、

隣り合った国ではありますが結構はっきりとした違いがあります。

確かに世界遺産も良いけど僕は平凡な典型的家並みを見るのも

結構好きです。

オランダは小さな国で資源もありません。なぜこの国は生き残これたのでしょうか?

オランダには広大なキューケンホフというチュウリップ公園があります。

世界中から人々が集まる観光地になっています。外国人観光客とオランダの

高齢者が多いとのことですがそんなこと我々外国人には分かりません。

何しろ700万株とも言われるさまざまな種類のチュウリップが咲き乱れます。

理屈ぬきに素晴らしいです。        

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ところで

この公園はチューリップの公園なので開園は一年のうち開花している2ヶ月だけです。

残りの10ヶ月は次の年の2ヶ月のための準備に入ります。

いやはやなんとも贅沢な 公園です。

オランダは過去チュウリップの品種改良に励んできました。なぜチュウリップなのか・・・

もともとチュウリップはトルコ原産らしいのですが(記憶が正しければ)どうやら

品種改良が簡単で交配 によって想像も出来ない色が出たりするんだそうです。
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そして遠い昔それが投機目的になり一本何百万なんていう値段がついた時代もあったのだとか。

こんな風にオランダはチューリップだけでなくさまざまな草花で世界最大の市場を持ち世界中に輸出しています。

あるいはHuroBridオイロブリッドなんて会社が鶏の品種改良をして世界に輸出したりもしています

ちなみに日本は鶏の数的に言えば養鶏大国ですがこんな風に品種改良をやっている会社はありません。

彼らは同じ農業でもただ単に作物や畜産をするのではなく世界がほしがるような

品種を開発して付加価値を上げ輸出しているのです。

つまりは生産性が高いということです。




ドイツ人的気質など・・・・さてと・・・

日本人とドイツ人は似ているなんてことをよく言われます。

さてどうでしょうかね?」

家屋の構造的違いもあるかもしれませんがドイツでは

小さい時から子供は子供部屋で寝かせます。

日本のように決して川の字になって寝るなんてことはないのです。こんなところ

からでしょうか子供の自立心が強く皆自分の意見をしっかりもって表現します。

日本ではどちらかというとその場の空気を読んで仮に自分の意見を持っている

人でも表現しなかったり、往々にして全く持っていないなんてこともありますよね。

また、日本では必ず何かことが起こってからあわてて対処を考える、あるいは曖昧に

しておくとか、先送りにするなんてことがいっぱいありますね。

特にこのことは日本の政治を考えると全く当てはまります。

僕がこのことを最初に感じたのはオイルショックの時でした。あの時ちょうど

ドイツにいましたので良く覚えているのですが。オランダは車を自転車に乗り代える

とかドイツでは日により車のナンバーの奇数偶数で運転を許可するとかすぐに対応

していました。そんな時が来るることを見越して法的制度を作っていたのです。

驚きました。本当に冷静な対応でしたよ。

一方、テレビのニュース番組で日本の様子が映し出されていました。

それは「トイレットペーパーを買うための長蛇の列や大騒ぎしている様子」なんですけど・・・



北ドイツの海岸にCoxHaven(?)コクサーフンという美しい港町があります。夏は避暑地になりま

すのでたくさんのペンションが海岸沿いに立ち並び地中海のコート・ダ・ジュールのようです。  写真でしか知りませんが。

日本では全く知られていない観光地です。ガイドブックに乗っているのを見たこと

もないし地図から何とか探そうとしてもその地図を見つけることすらできないのです。

現地では結構有名なリゾートなんですけどね?           しかししかし

その海岸は本当にうつくしいのです。きれいです。

新潟〜寺泊間のシーサイドラインは十分な景勝を持っているのですが夏になるとほとんど

ごみの山です。マナーだけに頼っていていいのでしょうか?それで本当によくなるとでも

おもっているんでしょうか?

ドイツの海岸があれだけきれいなのはしっかりとした罰則があるからです。マナーが

先か罰則が先かなんて論議もあるようですが現状では罰則が出来て初めてマナーが

出来るように思いますけど。

また、原則がしっかりしていて「汚す人は何時まで経っても汚しっぱなし」なんてことを

社会が許さないということです。

つまり酒を飲んでいるからとか、若者だからとか、お年寄りだからとか

お金を払う人だからとかではなく

あくまで「その行為が正しいかどうかという原則」を問題にするということです。

 もちろん何でもかんでも規則だけ作れば良いなんてことではありませんけどね。

さて日本人との共通点はどうでしょうか。

歴史的に日独同盟なんて時代もあって、あるときお店の中で老人に

「お前は日本人か? 昔日本とは同盟を

結んでいたんだよな。」なんてことを言われたこともありましたね。

ドイツ人は世界でもっとも制服の似合う国民なんてことを言われた時期もありました。

確かに一見硬くてとっつきにくさは日本人、ドイツ人の共通点かもしれません。

しかしそれはかつての勤勉の裏返しかもしれませんし、なかなかとっつきは

悪いのですが、いったんその中に入ることが出来れば、とても親密になれるのです。

彼らも日本と同様に たとえば、連合軍の空爆で壊滅的被害を受けた街ドレスデン

を象徴する戦後の荒廃から立ち上がり その勤勉さにより見事に高度成長をなしとげたのです。


私の住んでいた田舎町から比較的近くて皆さんが多分聞いたことのある大きな街で
何度か通った街をご覧ください。ブレーメンの音楽隊のブレーメンです。
サッカー好きの方でブンデスリーグに興味をお持ちの方もご存知かもしれません。

       
ブレーメン・マルクト広場         



               
広場の典型的な建物     ご存知ブレーメンの音楽隊                   

ドイツの町は清潔でほんとにきれいです。



彼らの話はとても理論的で分かりやすかったのを感じましたね。

そうそう彼らもまた、とても物造りに長けていて このことは確かに日本人との共通点

でしょうか。ご存知カメラのライカは今も良く知られた名機ですしゾーリンゲンの

刃物は世界的なブランドですね。器械の工作機などは、私の知人によれば

良いものを使おうとすればやはりドイツ製なんだとか、そんなことを聞きますし。

当時ヨーロッパで一番日本人が多く住んでいる国はドイツで一番多い街は

ジュッセルドルフでした。

ドイツと日本の関係は古く、それは明治時代に出来た日独協会が日本全国各地に

存在していることからも伺えます。

ちなみに私が住んでいた頃のドイツは東西に分かれていて、もちろん住んでいたのは

西ドイツで正式な呼び名はBRD(ブンデス・リパブリック・ドイチランド)とよびます。

(サッカーのブンデスリーガのブンデスとはここから来ています。)

州で言えばニーダーザクセンと呼ばれている北部の州になります。





ちょっと話は変わりますが・・・・・                                         .

日本では、国際語といえば英語であり次に知られているのはスペイン語であったり 

フランス語であったりします。

しかし、以外に英語は役立たず、私のつたないドイツ語が役立つことがありました。

それは旧東ヨーロッパの国々でそういったことが起こったのです。たとえばユーゴスラビア(旧名ですけど)

の田舎町で間違えて電車で降り立った時、は本当に 困りました。

英語は通じないし、イタリア語もだめ、見知らぬ国でただ一人言葉が通じない

というのは本当に途方にくれるものです。その時もしやと思い最後の切り札ではない

けど、ドイツ語で尋ねたらようやく何とか通じてほっとしたことを思い出します。

また友達と話す時は英語なんですが、彼女のうちに遊びに行ったときおばさんが

いたんですが、もちろん英語なんて習ってないんでおばさんとの会話は成立

しないことになったんですが、彼女の唯一知っている外国語であるドイツ語で

話しかけてきたことで大まかな会話が成立することになったのです。

また、ハンガリーでは結構ドイツ語はOKでしたよ。

以上の経験上からも分かりますが、


実は調べてみるとドイツ語を公用語としている国は結構多いのに驚かされます。

あげてみますと

ドイツ   オーストリア   スイス(併用)   リヒテンシュタイン 

ベルギー(フラマン語と併用)       ルクセンブルク(併用)  

更に公用語ではないが一部地域で使われている国を挙げると

イタリア トレンティーノ地方      アルザス地方

そしてかってハプスブルグ家の支配下にあった東ヨーロッパ地域

 クロアチア   スロベニア   スロバキア    チェコ    ハンガリー

その他

・  ブラジル    ・アルゼンチン    ・カザフスタン   ・ナミビア

と実に多いのです。

このへんは南太平洋に点在する特定の国々の人々の中に今も日本語を話す人が

点在することに少し似ているのかも・・・どうでしょうか?


Indix(総目次)





(1):    9/20 ドイツワインの産地モーゼル河岸

日本では稲刈りの真っ盛りです。ヨーロッパでは収穫の秋です。ぶどうの収穫
時季を迎えます。村々ではワイン祭りがはじまるのでしょうか?
さて今回から少し僕の訪れたワインの産地などを懐古して見ようかと考えて
います。 予定としてはドイツ モーゼル地方 皆さんご存知の猫の
マークの入ったシュバルツカッツはここが産地です。
次はハンガリーに飛んで有名なトカイワインの産地へ。そしてイタリアの
チンクィ・テッレ日本式に言えば「棚田のある五つの村」
そんな感じかもしれません。但しこちらは海岸の断崖ですけどね!
さて話はどんな風に展開していくのかは決めて居ませんので ふらっと
旅のようにその場その場の展開となりそうです。
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コブレンツ
では先ずドイツのモーゼル川がライン川の合流点の町コブレンツに
降り立ちましょう。ここは地理的理由でワインの一大集散地でもあり
確か記憶が正しければ軍の拠点であり大学があり又当時は化学工業
の拠点でもあったような気がします。地形的に言うと中州というか
三角地というかまさに船の先端みたいな地形をしています。対岸
の丘陵には城というか要塞がありその昔そこに大砲を設置して行き交う
船を監視したのだとか。

    

ドイツは僕にとって結構思い入れのある国で音楽と言えば日本では
クラシック以外はドイツ音楽を聴くようなことはあまり、
いやほとんどないとおもいます。けれど、普段耳にするそのほとんど
がダンス音楽でお酒が入るととても陽気
で楽しいものなのです。ともすればドイツのイメージは固く暗いような
ものが浮かんできそうですがそんなことはありません。是非機会が
あったら聞いていただきたいと思います。   


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さて、話を戻して
そんなコブレンツからモーゼル川をさかのぼ遡ると両河岸の丘陵にはぶどう
畑が広がってきます。そしてその丘陵の上には古城らしきものが
あっちこっちに見受けられます。このあたりには観光客が結構いたり
するのですが日本人を見つける事はありませんでした。とても雰囲気
のあるいいところなのに。惜しい気がしたものです。

    
モーゼル河谷と言ったらいいのか河岸段丘の発達が良く、その段丘面上
ではモーゼルワインとして知られる白ワイン生産を目的とするぶどう
栽培が盛んなのです。産出するほとんどのワインは白ワインで酸味の
新鮮さにとんだ爽やかでキレのいいワインです。
品種はリースリングが全体の半分を占めるのだとか。

   
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上流に向かって途中かわいらしい街Cochemコッヘムにであいます。
ワイン作りとその取引で栄えた街です。このあたりは古きよきドイツ
が残っていると言うか維持されていると言うかとても美しい町並みです。

  

そしてさらにこんなところに・・・
モーゼル川に沿った山間地で平坦部が少なく、家屋のすぐ裏の
急斜面字ブドウ畑が広がっているツェル村が・・・・・


   

村と言ってもドイツの村はビックリするほどきれいですよ。ここの村に
限らず例えば北ドイツの私の住んだ村に最初に行ったときのことがいまで
も鮮明におぼえています。
それは収穫の秋の天気の良い日でした。田舎道を車で走るとそこは一面
黄金の麦のなだらかな丘陵地でかなたに村の教会の塔が見え
本当におとぎばなしの景色かとおもいました。
そして村の中は小さくとも銀行があり郵便局があり、もちろん中心には
教会の塔がそびえたっていました。村の道はアスファルトではなく石造り
で商店はその当時(私は愛知県に居たので、そこを比較の対象として)
の日本の街の商店よりきれいなウィンドウディスプレイだったと記憶
しています。
薬局などはホントに整理整頓と言う言葉を通り越し全ての
薬剤が引き出しの中に収納され全く見事としか言いようが
ありませんでしたね!ひとつにはドイツ人の気質だとは思いますが。
とにかくきれいに整理整頓、なんでもきっちりと収めてしまうといったね。
又話が脱線してしまいました。

  
mozel08.jpg
とにかくこのモーゼル河谷は古きよきヨーロッパって感じがしたことです。
そうそう・・・この河谷をさらに更に遡るとルクセンブルクに到達し更に
遡るとフランスに入ってしまいます。
やたらだらだらと長くなってしまいました。
今回はここまでとしましょう。・・・・・

※お断り、必ずしも画像と文面が一致しているかは今となっては定かではありません。
ただその地域の画像であることは間違いありませんので、そのズレはご容赦ください。


  オクトーバーフェスト 
oktoerfesto1.jpg   mozel.jpg
   
・・・オクトーバーフェストは地元の方言では「ヴィ―ズン Wison?」と呼ぶようですよ。・・・


ドイツでは秋になるとさまざまなお祭りが開催されます。
ワインの収穫祭的なもの、ショッツンフェスト(鉄砲のお祭り)
ビール祭りなど。ワインの収穫祭について以前モーゼル
川のところで少し触れましたが。今回はかの有名な世界
最大のお祭り「オクトーバーフェスト」に関して

其のスケール・・・・600万人以上の人出があり 700万リットル
以上のビールが飲み干されます。期間は9月半ばから10月の最初の日曜日まで。
16日〜18日間です。
比較するのもなんだと思いますが、
分り易いたとえを上げると・・・この近辺の人の集まる観光地で・・・
寺泊の1年間の人出が200万人くらいですから其のスケールがわかろうというものです。
しかし、今日有名になったミュンヘンのオクトーバーフェストは、ドイツの他の各地の
民族的な祭りや射撃大会を兼ねた祭りに比べると比較的新しい祭りといってもいいらしいです。

実際、その昔僕が滞在していたドイツの小さな村でも、ショッツンフェスト「鉄砲のおまつり」があり
その民族衣装から容易に中世を連想できました。鉄砲を担いで村中(村といっても
石畳のとてもきれいな村で日本の地方都市よりもきれいです。そしてインフラやサービスも充実
していました。その当時の日本との差に驚き感嘆したものです。)
を練り歩き最後に村はずれの広場でいっせいに発砲して終わります。
その銃は日本で言うところの火縄銃で、彼らの体が大きいせいでしょうか銃のサイズも大きいようです。
そしてその音の大きさといったら大砲を撃ったようなとんでもなく大きいのでみんないっせいに
耳を塞ぎます。

そしてもう一点このビール祭りは
新しいビールの醸造シーズンの幕開けを祝う祭りで、どこでも開かれているようなものだったそうです。
ではどうして今日のような世界的な盛大なお祭りと成長をとげたのでしょう?

1810年のバイエルン王国の皇太子の結婚式で競馬が行われたのですが、
皇太子が国民を喜ばせるため古代オリンピアのような
競技大会を開きたいといったことが発端になったんだとか。

1819年には市がこの行事を受け継ぎ行うことになり以来
、途中何度も中止になってきたようですが市民の努力で続いてきたようです。

1880年には市当局がビールの販売を始めて許可します。
ちょっとまったあ〜・・・・ということはここまでビールの販売はなかったことになり、
我々日本人的に考えれば・・・ここからがほんとの
「オクトーバーフェスト」じゃないのってなりませんか?
初期のお祭りはどうやら飲んでドンちゃん騒ぎするようなものでは
なかったんですね。

現在はヨーロッパ各地から、そしてアメリカからそしてアジアから
観光客が集結します。そして何でも商売にしてしまう日本やアメリカでは各地で
其の地版「オクトーバーフェスト」が盛り上がっているようです。
世界からの観光客が更に各国で其の知名度を勝手に
上げてくれていたんですね。

それはそうとドイツ人って飲むとほんとに人が変わったように
陽気になりますよ。実は意外とドイツの音楽は楽しい音楽ばっかりで
(是非機会があったらきいてほしいですね。)しかもダンスを踊れない
曲はヒットしないと言われていました。イタリアは逆で陽気な国なのに結構悲しい曲が多い
ように感じるのはぼくだけ?

さてこのお祭りでは自分の限界がわからない
で飲みつくし失神する人が毎年出て そのためのスタッフが
常駐しているらしいです。  さもありなんあんな巨大なジョッキ
で飲んでいればねえ・・・
essen.jpeg     
当然ですが
お客さんは飲むだけでなく大いに食べる。食事は主にソーセージ、ヘンドゥル(鶏肉の丸焼き)
、シュペッツレ(独:Spatzle チーズや小麦粉で作った麺)、ザワークラウトといったボリューム
のある伝統食や、バイエルン名物の雄牛のしっぽなど。    いかにもドイツらしいでは
ないですか



ドイツには「お笑いがないの?」

      ドイツ人は昔から論理的な思考を持ち、カジュアルな服装よりも
      世界一制服の似合う国民と言われています。

      こんなジョークがありますよ。

      ある貴婦人が国際的なパーティの会場でのこと。
      会話に夢中になっていて思わずおならをしてしまったとき
      周りにいた男性の面々の言動

フランス人は・・・「あ ごめ〜ん」って恥ずかしそうに言いました。
イギリス人は・・・「申し訳ない私が   不躾をしてしまいました。」
そしてドイツ人は「今のおならの分は私が承ります」

      多分こんなような話で
・・  ・  さすがにドイツ人って感じが良く現れています。

      ドイツにはお笑いがないということ知ってました?
      政治や社会風刺のような「笑い」はありますけどね。


      かといってお酒を飲むと逆にとっても陽気な国民性ですよ。
      実際、日本人の落語家落語家( 三遊亭竜楽さん)
       がドイツでドイツ語で落語を公演したらしいです。
       絶対無理って言われていたんですけどね!
      それが・・・大盛り上がりで   うけに うけたらしいんですよ。
      ・・で その映像を見たドイツ人が  これって本当に
           ドイツですか?って驚いたらしいですよ。


   日本の漫才研究のドイツ人第一人者ティル・ワインガートナーさんによると
   (そもそもドイツにそんなに漫才研究者がいっぱいいるはずがないって思うけど・・・
            彼一人?)

       ドイツでは芸人の地位が極めて低く、日本で
       どう見ても美しいといいがたい芸人が若い女性からアイドルの
       ような熱い眼差しを受けていることから   日本のお笑いにおける
         文化的成熟度の高さを実感したそうです。


       そこでこんな事例を挙げましょう。
       ドイツでは毎年春になると、デュッセルドルフ、ケルン、マインツなどライン川沿いの町々
       ではカーニバル(謝肉祭)で賑わいます。このカーニバルは、フランスのナポレオン軍
       がライン川に駐留していた時代に、そのあまりに仰々しい軍隊をバカにして笑ってやろうと、
       ナポレオン軍の行進をマネするという皮肉から生まれたと言うおお話が
       在るらしい。
       それがまたとんでもなく相当に盛大で、バカ盛り上がりを見せるらしく
       老いも若きもこの日だけは羽目をはずしてバカ騒ぎする。
       ドイツ人に硬いイメージを持つ外国人がびっくりするらしいんですよ。
       「なんでこんなにドイツ人は盛り上がっているんだろう」ってネ。
       (前に筆者はドイツ人はお酒を飲むととても陽気だって言ったことがありましたよね。)


  つまりこのカーニバルからドイツ人のお笑いに対する
  スタンスが見えてくるってことでしょうか。
       笑いの場がかなり限定されているってこと。ここは馬鹿笑いしてもいいんだよって
       いう場所が決まっている。重要な会議、政治的な局面、初対面のときなどでは
       笑いの要素は必要とされない。

       普段お硬くいる反動で許される場では羽目をはずしてバカ騒ぎするの
       ではないかと筆者は思うのです。いやむしろ中途半端ではいけなくて
       こんなときは徹底してまじめにバカ騒ぎしなければならないのでは?
       ですからそこには、カーニバルマイスターなる人々が模範的な
       参加態度を示し最高の笑いの場を作り上げているのです。
       とてもまじめに笑いに取り組んでいるのだと言うことなんでしょう。??



       まあね〜
       いろいろ在るけど本質的に人間って変わらなくって
       楽しいことって誰でも大好きだと思いますよ。
       「お笑い」とい言うカテゴリーがないドイツ人だって冗談は言うし
       別に笑いが嫌いなわけではないのです。
       霧の多いドイツという国に住んでいる彼らが
       イタリアの晴れた青空に憧れを抱くように 日本の笑いにも
        憧れを持ったとしても不思議はないと思うのです。




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