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Chiacchirata(雑記ノート)

 

 

 

 

A イタリアの生活、歴史、出来事、経験、の「あれこれ」

       

1:Bella l‘itaria(ベッラ・リタリア)素晴らしきイタリア

2:イタリアの統一   3:イタリア美術探訪   4:イタリアの春   5:イタリアの夏

6:復活祭    7:夏のベネチア   8:Veneziaヴェネツェア     9:ベニスのカーニバル

10: 11:イタリア日記「PEROぺロ~」   12:新しく古いイタリアと日本の関係

13:秋風が吹き始めるとイタリアではどんなだったかなあ~

14:爪楊枝とイタリア       15: イタリア人の国際感覚?         16:なんにでも付く姓

17:イタリアのお台所では ・・日本との違いは?        18:ユーロ(欧州通貨)

19:リナシメント(ルネッサンス)のアーティスト達の紹介 

20:ベネチアのオーバートゥーリズム      21:シチリア島

22:ヴェローナVerona      23:イタリアのクリスマスその1    24:イタリアのクリスマスその2

 

 

       


  

 

 

                   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

           

  






       

 

 

 




入ります。ここにブログ内容が入ります。ここにブログ内容が入ります。ここにブログ内容が入ります。

2023年07月28日

ブログ始めました

 

お客様のお声に従って 旧ホームページEeasyHomeの Chiacchirata(雑記ノート)をこれから再構成して徐々にupしていきたいと思っています。

 

 

A イタリアの生活、歴史、出来事、経験、の「あれこれ」

1:Bella l‘itaria(ベッラ・リタリア)素晴らしきイタリア

イタリアってどんな国?て聞かれたら・・・・・イタリアは南北に長く面積的には日本よりちょっと小さめで・・・

南は温暖な地中海に面し、北は氷河の上に万年雪を頂くアルプス山脈がそびえ、フランス、スイス、オーストリア、スロベニアと国境を接しています。

 

 

 アルプスの山々 最高峰はモンブラン 4807m

又海岸部は砂浜と切り立った断崖が交互に続きその海岸線はきわめて変化に富む、美しく、あるいは表情豊かなことに気付きます。

 

その名の由来はエメラルド色の水に由来するらしいですよ。   もちろん景観の魅力だけでなく         世界的に有名なイタリア美術が町々にごろごろしていますし、普通にコンサートがあちこちで開かれています。           
ローマ帝国建国等を含むドラマティックな歴史の国でもあります。
セリエAを代表とするスポーツ観戦も盛んです。

* その昔、都市国家だったせいで、どの地方も独自の伝統工芸をもっています。

たとえば ベネチアングラスや  カメオなど・・・

都市国家といえば、イタリアは郷土料理の国といっても過言ではありません。  

我々料理人の中ではこんな言葉を現地の人から聞きます。                            「イタリアにはイタリア料理は存在しない。あるのは地方料理の集まりだ。」.   人々は自分の街にとても誇りを持っているので イタリア料理という一括り的な表現に納得できないのでしょう。

私が聞いたあるデータでは 世界の旅行者を対象にしたアンケート ではイタリア料理が一番人気なんだとか・・

また、もしミラノを訪ねる機会があったら「モンテナポレオーネ通り付近を歩きなさい。」と・・・世界的なデザイナーの店が立ち並んでいるから・・・なんてことを聞いたことがあります。

しかし僕的には、何もミラノに行かなくとも地方の町のチェントロ(町の中心)でウィンドウショッピングするだけでも,とっても楽しいこと請け合いです。ブランドなんか知らないほうが本当に自分の好きな、

あるいは自分に似合ったものがいっぱいあることに気付くのではないでしょうか。        ということで

 忘れてはいけないのがファッションでしょうか・・・・                 .

・・・とりあえず,もし誰かに聞かれることが有ったらこんな風に話すかな・・・



2:イタリアの統一

(数字はケッコウアバウトかもしれませんので「そんくらい」くらいの気持ちで読んでくださいね)

実はイタリアが完全に統一されたのは1900年代初頭なんです。第一次世界大戦が終わりトレント、とトリエステを併合して完全に統一されました。

歴史ある国なので「え~  」っておもいませんか?
その後ファシズムが台頭して、皆さんご存知のムッソリーニがあらわれるのです。
彼が失脚して、ナチスドイツ占領軍に対する抵抗運動が組織され、連合国がミラノ
に入場した時に占領が終わり、翌年1946年国民投票により現在のイタリア共和国
が誕生現在に至ります。     ここに来るまで本当に紆余曲折があったのです。

 

ここでちょっと堅い話ですが簡単にイタリアの歴史です。イタリアを理解したい方の為に!
5世紀ローマ帝国が滅亡。
その後イタリア各地に蛮族が侵入して領土は三つの王国に分裂します。

11世紀ごろ自治都市が出現し政治、社会、文化の分野で大きな変化の時代を迎えた
のです。新しい共通語イタリア語が現れラテン語にとって変わったのもこのころ。
そしてその後に続く時代こそ、人間至上主義、とリナシメント(ルネッサンス)という
イタリア人にとっての黄金期を迎えることになるのです。

建築家、金細工師、彫刻家、画家、詩人、音楽家、技師等、その他ほとんどの
科学分野において深い知識を有する人物がざくざくでてきたのです。
レオナルド・ダビンチ、ミケランジェロなどと言った人物は日本でも誰にでも
知られている人物です。

ヴェネツェアとジェノバが海上を支配して、ロンバルディーアやトスカーナの商人
や銀行家がヨーロッパ全土に力を伸ばしたのですが、このころのイタリアは
たくさんの小国があるだけでしたから、ヨーロッパの列強国にとって
まあ言うなれば格好な餌食だったのです。

一時フランス軍が侵入したり、その後スペインが軍を送りこみ
ミラノ、ナポリ、シチリア、サルディーニアを直接支配することになってしまいます。
その後フランス革命に刺激され北部イタリアからイタリアの統一運動が起こります。
そしてまたまたオーストリア軍に制圧されたりしますが、統一のうねりは拡大し
1800年代中ごろにイタリア王国の樹立を宣言します。その後やっとローマと

ヴェネツェアが併合されます。そして完全な統一は1900年代初頭まで待つことに
なるのです。

*ここまでの画像は当時のPostcardからのものです。

3:イタリア美術探訪

何せ国自体が美術館みたいなお国イタリアですが。その遺跡や美術館など、主要な
ものだけでも数え切れないほどの名所があります。

 

エトルリア文明やローマ帝国期の印象的な建物のほか、ロマネスク様式、ゴシック様式
リナシメント(ルネッサンス)からバロック、新古典派から未来派と、あらゆる時代
を代表するような優れた建築物や美術品・・・・が世界を魅了してきたのです。
(数字はケッコウアバウトかもしれませんので「そんくらい」くらいの気持ちで
考えてくださいね)

ローマの芸術は紀元前2世紀に始まったと聞いています。いろんな分野があったとされていますが、もっとも優れたものはやはり公共建築だと思います。 始めはギリシャ建築の模倣に過ぎなかったのですがその後
革新を加え、たとえばアーチをつけるとか、新しい趣向を凝らすとか・・・・・・
それはつまり神殿、劇場、大浴場(カラカラ浴場など)、コロッセオ、凱旋門等

 


などに現れています。大浴場に関しては以前にも書きましたがヨーロッパ各地に
その痕跡や言語などが残っています。僕が直接行ったり入ったりしたものといえばハンガリー
の大浴場でしょうか。ハンガリーの紹介の部分でご覧ください。

 

4:イタリアの春

日本人は春が好きです。でもイタリア人だって春が大好きなんです。
イタリアも日本と同じく縦長で地方によってずいぶんと気候がちがいます。
それでも春は路肩のレンギョウの花から始まり、 新潟ににていますね!、 僕でも、春の訪れを感じていました。
3月になって気温も上がり、軽装になりまたたく間に、回りに花々が見え始め、たんぽぽや、
意外なことにミラノでは桜も咲きますしモクレンなども咲きます。  ただ桜ってすぐ散ってしますため一般に日本のように注目されることはありません。   季節の変化をめでるような慣習はありません。  お花見とか紅葉狩りなどといった風に・・・

また、一方で春を呼ぶイベントと言えば・・・・・
イタリアでPrimaveraプリマヴェ-ラ(春)と呼び親しまれる自転車競技(ミラノ~サンレモ)は、1907年
に第1回大会が開催されたのClassiccisimaクラッシチッシマ(クラシックの最上級)。今年で103年目かな?たぶん・
を迎えるクラシックの中のクラシックだ。自転車はとっても盛んな競技なんですね。
こんなに各国からエントリーされるような大きな大会ではなくとも各町々でさまざまな大会がもようされます。

 

brescia.jpg
あるいは年中行事といえば・・・・・パスクァ(復活祭)ですよね!!
パスクァは、イエス・キリストの復活を祝う、毎年春分を過ぎて最初の満月の後の日曜日は
家族で集まってごちそうをいただき、色とりどりに装飾された卵をプレゼントし合
います。指輪などを仕込んだ特製チョコレート卵を用意して、恋人や奥さんを大喜びさせる男性もいるわけです!
卵は復活と誕生を象徴する縁起物なんです。   

ご存知の方もいらっしゃるでしょうが当店も卵にちなんだ料理がありますよ。丸ごとチキンの塩釜がそれです。
もうひとつ、イタリアで春といえば、3月8日の「ミモザの日」。
そう、皆さんよくご存知の「ミモザサラダ」のミモザです。ミモザとはオジギソウ属の植物の総称ですが
男性から女性への感謝を表す日で、道行く女性は誰もが黄色いミモザを受け取るのです。
小さいけれど愛らしい花を胸に飾った女性たちは、きらきらと輝いてみえるんだとか。
ちょっと日本ではなじみがないですけどね。

春ならではの食材は、アスパラガス、アーティチョーク、それに新鮮なリコッタ・チーズやラム肉など・・・・
当店で春メニューと言えば

1:  シラスとブロッコリーのスパゲッティ           2;  キャベツと生ハムのスパゲッティ
3:  キャベツとメークインのスパゲッティ         4:  焼きネギとタプナードのスパゲッティ
5:  カスベのトマト煮込みソースのスパベッティ   6:  スモークサーモンとほうれん草の生クリームのスパゲッティ
7:  ホタルイカのスパゲッティ           8:   ヒイカのスパゲッティ
9:  キャベツのマリネー生ハム添え    10:  グリーンアスパラのミラノ風
11:  イイダコのトマトに込み                              .
      など 季節メニューとして過去にお出ししています。

 

5:イタリアの夏

「イタリアの夏ってどんなですか?」なんて聞かれたのでちょっと・・
そうですね。イタリアは日本のように南北に長いのでいろいろあるでしょうけど、
ここでは、北イタリア、ロンバルディアではとお考えください。

夏と言われて頭に今浮かんだのは、この時季になると
道路の脇に出来るテント造りの西瓜屋さんかな・・・

感覚としては日本の浜茶屋がそっくりかな、但し上がりじゃなくって 椅子とテーブルって感じです。

夕方こんな西瓜屋さんで長椅子みたいなのに座りながらメロンや西瓜にかぶりつくなんてことが
ありました。そこにに可愛い娘さんが居れば申し分無しです。

な~んて ちょっと夏の風物詩みたいでいいでしょ。   あとはやっぱりラゴ(湖)かな
いろいろいきましたけど圧倒的に回数が多いのがガルダ湖です。ここはイタリア
最大の湖で3州にまたがっています。このあたりは北イタリアでも温暖
でオリーブ、ぶどうの栽培が目につきましたね。Lago di Gruda

ラゴ・ディ・ガルダの ラゴとは湖のことで、ガルダとはドイツ語から来ている
らしくその意味は要塞とか  写真を見ていただければ納得して頂ける
かとは思いますが。  このあたりはホントに風光明媚でリゾートとしてはまさにうってつけです。

 


garda.jpg
ここにはシルミオーネと言う、小さな美しいリゾート町が有り世界中からヴァカンツァの
観光客で溢れます。でも最近では圧倒的にドイツ人が多いのだとか、故に
ドイツの植民地などと口の悪い人は言っているとかいないとか・・・・
ドイツ語、フランス語、英語と言った様々な言葉に触れることができたり
あるいはギャラリーが開いていたり、絵描きさんが絵を販売していたり
お土産屋さんが軒を連ねていたり いわばお祭り広場が毎日続いているみたいな・・・そんな感覚でしょうか?

ここに来ると自然と楽しくなってしまうのです。
イタリアでは車のことをマッキナ(マシーン)って呼びます、でここ
まで来る間に彫刻の工房があり時々よって見せてもらっていましたが
このときに買ったのが当店のショーウィンドーにある「水浴びする女」なんです。

 

 


mizuabi.jpg

そうそう この像を日本に送るのはなかなか大変でした。 一応美術品なのでミラノのアカデミーに許可を受けなければならないとか。 重さが30kg高さが83cm 材質マルモ(大理石)なのでこれを立てたまま収納できる丈夫な箱を作らなければなりませんので木材を買ってきて木箱を作りました。イタリアから横浜まで船で運んでもらうためもしものことを考えて保険を掛けることになったのです。  友人には ばかねえ~などと言われながらも何とか日本に送ったものです。


気候的には夏はやっぱり暑いよね。最も日本のように湿度が高くないので まあまあ過ごしやすいのですがドイツやスウェーデンと比べるとやっぱり「暑い!!」のです。

そこで 本当に暑さをしのぎたい方にはこちらを紹介いたしましょう。

 

 


cilvino7.jpg
そうです。アルプスです。この写真の山はイタリア名「モンテ・チルビーノMt.Cilvino」です。
この山の反対側スイスから見た写真なら皆さんご存知のマッターホーンです。見る側によって
だいぶ感じが違いますよね。 この山は4500mくらいだったと思いますが2050m
位にチェルビーニアと言う町があるのでとにかくそこまで車で行って
その後ゴンドラであがろうってことになりました。

どれくらいの時間その町に
着くのに掛かったのか覚えていませんが途中迫り来るこの山の圧倒的な存在感
は今でもはっきり覚えています。この山が荒々しい男なら日本の山々は
優しく穏やかな女性と言ったかんじです。とても残念ですが写真ではとて
その感覚は伝えることはできないようです。

さてチェルビーニアに着くとそこは
とても可愛い町で夏場は格好のリゾートになっていて観光客でいっぱいに
なっていました。ここまで来るとケッコウもう涼しいので避暑にはうってつけです。
傍らには高山植物のお花畑で可憐な花々がいっせいに咲き乱れて
高山植物やハーブって何時も思うのですが自然と人を癒してくれるようです。
けなげに咲いている姿がホントに人をひきつけますよね・・・・・・

流れてくる小川の水に足をつけると、足がしびれるくらいに冷たい。
見上げるとモンテ・チルビーノ(マッターホーンが)聳え立ちせまりくる。
ゴーゴーと言う水の流れる音が聞こえてくるけどその姿は見えません。
それもそのはず雪解け水は氷河の下を流れているので見えないのです。
さて更にもっと涼みたい方には・・・・・・・・そこからはゴンドラに乗りいざ氷河のあるロッジに・・・

 


celvino5.jpg
暫くしてロッジに到着 一面に氷河が広がっていましたよ。
何人かはスキーをしていましたし あるいは海岸にあるようなチェアーに寝っ転がり日向ぼっこをしている人も しかもビキニで、確かにそのときは8月ですから季節的には可笑しくないですけど・・・・
でもこれくらいの高さになると雲にちょっと太陽が遮られただけでホントに寒いんです。
ここから先はスキーがないと進めませんがもし進んでいけばスイスに
出ることが出来るのです。氷河で峠越えってことです。
ヨーロッパは皆繋がっていることを実感できます。  ということで ここは夏涼みたい方に是非お勧めしたいです。

 

 

 

 

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イエス・キリストが、死から復活した奇跡をお祝いする日

6:復活祭  Pasqua(パスクワ)英語ではEasterイースターですね。

皆さん何となくご存じでしょうがイエス・キリストが、死から復活した奇跡をお祝いする日です。なので一般にキリスト教徒にとってはクリスマスよりも大事な日となっているようです。

復活祭はクリスマスのように毎年日にちが決まっているわけではありません。

「春分の日の後にやってくる、最初の満月の次の日曜日」とだけ決まっているので毎年かわります。

 

実は、日本にまだ入っていない最後の大イベントがこの「パスクワ」と言われているんです。

日本人って何でも外国のものを取り入れ商売に繋げるのが上手い。  クリスマス、バレンタインなど 最近ではハロウインなんて事をいっていますよね。

   今はなぜかまだ注目を浴びることがないようですが・・・  パスクワの前の40日間はキリストの断食にちなんで肉食を絶ってむかえることになっています。 例えば野菜のスープだけとか まあ人によっては大好きな大好きなジェラートをこの時期だけ我慢するとか。

 でも実際現在では まったく肉を食べないなんて人は少なく .   まあ、美食、飽食を控えるって程度のようですが。     

普段のイタリアの朝ごはんはカフェラッテとブリオシ(甘いカステラのようなパン)が定番で軽く済ませるのが一般的です。  というか 朝食は取らない方がふつうだとおもいます。自分も食べた記憶がほとんどありません。               .       .
ところで、パスクワを迎えたその日は朝から思いっきり食べるのが決まりだそうです.想像してみてください!    朝食のテーブルの上には、山盛りのゆで卵と大きなサラミがドーンとのっております。
一年に一回この日だけってことらしいのですが・・・・・・ちょっとねえ・・・・・・・・・・・

さて、それではローマ地方のあるご家庭のその日の献立を覗いてみましょう。例えば 

        . 
1・各種サラミとカラーコーティングしたゆで卵の盛り合わせ。   .
2・鶏肉入りのラザニア                         .
3・子羊とアーテチョークの煮込み                   .
4・巨大なリング型焼リゾット。鳥レバーと肉団子のトマト煮添え。
5.ローストビーフ(結構誰も手をつけずにのこってしまう。)    .
6・サラミとチーズ入り自家製パン                   .
7・山盛りの野菜サラダ                        
8・タップリのワイン                         .
9・ミモザケーキ(クリームが中に入ったスポンジケーキ    ,

いやあ!すごいですねえまったく・・・・・・・                        .
実はイタリアの冬は結構寒くて(自分は北イタリアに住んでいました)新潟のように天気も悪く、だからこそ春の訪れ
が本当にまちどうしいのです。つまり復活祭は冬の終わりを告げる大切な日だと言うことがこのメニューに現れているのだとおもいます。 

前にも触れましたが イースター(復活祭)は、カトリックの国イタリアにとって、とっても重要な宗教行事です。
イタリア語ではパスクワといわれるこの日は日曜日で、この一週間は各地で様々な宗教行事行われる。この時期には「スイートピザ」、「コロンバ」などというあま~いお菓子がいろいろあるが、中でも商業ベースでダントツにNo1はタマゴチョコ!
つまりタマゴからはヒヨコが生まれるというわけで、たまごは「復活」の象徴なわけです。
ほら、ご存じの方もいらっしゃると思いますが  当店の「チキンの塩釜ハーブ風味」も中に卵が入っている事を思い出してください。

イースターの一ヶ月前くらいから、スーパーやバールのショーウインドーを飾るこれらのタマゴ形チョコ、
大きいのから小さいのまで様々あり、カラフルな包みも・・・・・・・・・

シチリアのある村では
その昔オスマントルコの侵略から逃げてきたアルバニア人達によって村が建設されたそう。
現在でもその文化、言語、習慣を保持しており、村にはアルバニア語の表示も多いのだとか。
ギリシャ正教のこの村で、復活祭は非常に重要な年間行事のひとつ。特に復活祭最後の日曜日は、優美な民族衣装を着た村人達がミサを行い、赤い卵を人々に配る。この民族衣装は金糸の刺繍や高価な宝石などがあしらわれており家族代々受け継がれていく非常に大切なもの。
厳かで美しい村人達の聖行進は島中の注目を浴びている。  もちろんイタリア全土の注目も。

もともとこの地は都市国家で成り立っていたので 統一後のイタリアは地方によって実にさまざまな文化がそんざいするのです。

 

 

 

 

 

 

7:夏のベネチア

 

サンマルコ広場 左側の建物はドカーレ宮殿 からサンマジョーレ島
<多分そんな名前だったと思いますけど間違っていたらごめんなさい>を望んで。)

観光というと帰国前に最後と言うことでローマやナポリなどをまわっ

たくらいで、当時あんまり興味なかったんですよ。    一方で

友達と遊びのためには、あっちこっちに行きましたけど

基本的に観光らしきことはほとんどしなかったのですが・・・・

ベネチアだけは何度か行っていますので結構観光客していたと思います。

この頃は日本からカメラを送ってもらい一眼レフ等の交換レンズなども

使って撮影を始めました。でも何時も時間が足りなくて・・・・って言うか

マイペースなだけかも。

 

          B

(上は ためいきの橋 とよばれています。
実はこの橋を渡ると反対側の建物は牢獄なのです。囚人はこの橋から
最後の夕日を眺めてため息をついたのだとか)


ヨーロッパには水の都などと呼ばれている都市はいくつか有ります。

いづれも街に運河が走っていて、私の訪れた、ストックホルム、

アムステルダムそしてベネチア。それぞれ大変美しい街です。

しかしその特異性においてVeneziaべネツィアに勝る街を知りません。

街全体が世界遺産で  一般の都市でいうならば「道路は 運河」で、「バスは 水上バス」、

        C

     タクシーが モーターボート           

 

 

     バスが  水上バス 

「Taxiタクシーは モーターボート」、日本ならば「観光人力車が ゴンドラ」

といった具合に対比できます。

冬の仮装カーニバルも観光客で一杯になりますが  夏こそ観光の 本番でほんとに世界中からの人々でどっと溢れます。あらゆる言語が飛び交っている感じって言ったら伝わりますかねえ!     これはホントに凄いですよ。さながら 人種の万国博覧会のようなんて言ったら叱られますかねえ!

 

 

 

 

あんまり観光していない僕が言うのは変かも知れませんがイタリア旅行されるなら是非ともVeneziaに行かれる事をお勧めいたしますです。ハイ!

そして許されるなら時間的余裕が欲しいですよね。

サンマルコ広場のBarバール(喫茶店のこと)のテラスで ボ~ と時間をつぶす

 

(Aの写真の対岸のサンマジョーレ島<?>から逆にサンマルコ広場を望む)

とか。チェントラーレ(ベネチア中央駅駅)から徒歩でサンマルコ広場までゆっくり散策するとか、ゆったりとした時間を過ごしてこそ見えてくるイタリアがあるとおもいます。

普段観光とかしなかった私ですがVenezziaには4回行きました。お時間のある方は是非一度お試しください

 

大小さまざまな島もありますので島の生活にもあこがれがあります。出来れば観光ルートに乗っていないような隠れ家的なホテルとかレストランとかでのんびりと過ごせたら最高ですね!

 

 

文豪ヘミングウェイも見せられたレストラン

そういえば、ヴェネツィアというと思い出しますが(季節は夏ではありませんが)モエーケを思い出します。実はこれはソフトシェルクラブのことです。つまり脱皮したてのカニのことです。これをから揚げにして食べるのですが、殻が柔らかいため基本的には全部食べられるので カニ料理にしてはたべやすいのです。                しかしここでの食材の扱いがなかなか面白いのです。大事なのは生きていることなのでカニを捕獲すると市場をとおさず直接レストランに搬入します。死んだら価値がガタ落ちです。レストランでは卵液を作りこの中に生きたカニを入れ卵液を吸わせて体内にたっぷり入ったら 処理してから揚げにします。想像してください単なるカニを上げるのではなく卵液をたっぷりおなかの中に入れたカニを揚げるのです。・・・・

 

 

 

 

8:Veneziaヴェネツェア

その成り立ちと現在の問題

 

 

リアルト橋 有名なリアルト橋です。屋根付きの橋で階段を歩きます。端は店舗が連なっています。

 

ヴェネツェアについて書くのはなんどめでしょうか?前回は確か

交通機関に関して、バスが遊覧船(バポレット)で、もう少し簡易な交通手段

は渡し舟(トラゲット)と言うことなどを話したかと思います

ベネツェアはもともとラグーナと呼ばれる干潟でそこに松の丸太のくいを何本も(具体的には1㎡に9本)を底の固い地盤まで打ち込みその上にカラントと呼ばれる石材を積み重ねて家や道路を作ったのです。

つまり ほとんど気の遠くなるような数の丸太のくいがこの街の下に存在するのです。そんな木の杭なんかであのような壮大な建築物が支えられ、よく腐らないもんだと思いますよね。ところが木の杭を泥の中まで打ち込むとその上には水がありますから木は空気に触れることが無いため腐らないのだそうです。

ということでここの建造物は500年から1000年の歴史があるのだそうです。それにしても何でわざわざ干潟の上なんかにと思いますけどその当時の都市国家というものは常に外敵の脅威にさらされていて高い外壁を作ったり山の
上に街を作ったりと外敵を防ぐために多大な経費と労力が掛かっていたのです
。ヴェネツェアでは水上に街を作ることで外敵の攻撃を防いできたということなのです。

この街では造船所(アルセナーレ)があり造船の技術が発達しました。同時に部品を統一して同じ人が同じ
ものを作ることにより大量生産と時間の短縮を成し遂げたのです。そして水上のこの小国がアドリア海の女王と呼ばれるほど長きにわたって繁栄した経済基盤は何だったのでしょうか?

最初は香辛料貿易の重要な交易港として多大な財を成し、しかしその後アフリカの南を通る航路が発見されると「ベネチアングラス」の産地としてあるいは「刺繍」の産地として栄えました。高付加価値の製品で街を支えるということですね。

このような例は、たとえばベルギーのブリュッセルにおけるタペストリー(絵や風景などを鮮やかな糸で織り出したつづれ織りのことで壁掛けにします。)も街の経済を支えていたそうですよ。実は僕自身とても気に入った壁掛けを見つけて何回も通いついに買ってしまった経験があります。当時ケッコウ高かったと言う記憶が残っていますけど。これなどもその気の遠くなるような精緻な仕事振りを見ると高いのは当然という気になってしまします。

 

ベネチアが水没する?   的な問題

(サンマルコ広場)
近年地盤沈下の影響もあって年にある時期何度かこの有名な広場や街が冠水
してしまいます。

こうなるともうアーケード部分というか雁木部分というか軒下部分に 木製の桟橋を作ってそのうえを観光客が歩いて回るなんて風景が見られます。あるいはズボンのすそをひざ位にまくり上げ水の中を歩くことになるわけです。    観光客は激減で大変な経済的損失を受けることになります。  この現象は秋から冬に起こる現象で「アックア・アルタ」と呼ばれています。 原因は地球温暖化による海面上昇と地下水のくみ上げすぎではないかと言われていますが・・・

あまり水位が上がると端の下が狭くなるので ごみ収集船が通れないとか 誰かが急病になった時救急船が通れなくなり助かるものも助からないなんてことが起きるかもしれないということです。更にこんなにたびたび水位が上がると大事な建物自体が保存できないようなことになれば貴重な遺産が失われるかもしれません。

 

 

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9:ベニスのカーニバル

ヴェニスのカーニバル(謝肉祭)

以前に取り上げた復活祭パスクワの前には禁欲の期間があり、断食を行い心身を清め敬虔な

祈りを捧げひっそりとした生活をすごしていた。なんて話したことがありました。

しかしながら、ここからがイタリアらしいのですが

その期間の始まる前の数日間はカーニバルと称して大騒ぎできる期間としたんです。

その語源はラテン語から来ていてCarne Levareカルネ・リバーレ(肉よさようなら)なんですってよ。

このことと昔からヨーロッパに伝わる悪魔祓いが一緒になって現在のカーニバルになったのだそうです。

したがってカーニバル事態はヨーロッパ各地で行われていると思いますが、ベニスのそれはちょっと

他とは違いますよ。それこそ世界中から人々が集まり町全体が仮装舞踏会のようです。

町そのものが中世の面影を残していて人々がみな仮装して歩いているのですからほとんどタイムスリップ

した気になってしまいます。

 

 


v20.jpgP1011939.jpg
ここでは特にパレードなどといったイベントはありません。しかしこのときこの町に居合わせた人全て

がカーニバルを演じる一員なのです。それこそ町の隅々で絢爛たる衣装、さまざまな仮面。

 





見ればお分かりいただけると思いますが何ヶ月も前から相当な金額を注ぎ込んで、

アイデアを絞っている・・・・・・・・

歴史ある街ですからそれを受け継ぐ町の人々の思いや意気込みたるやそうとうなものですね。

裏通りの 土産物屋さん で仮面を買って飛び入り参加なんてことも簡単に出来ますよ。
P1011991.jpg
このときばかりは女性が男性になったり庶民が貴族になったり老人が若い女性に

ふんしたりすることもできるんです。しかし扮装した人はたいがいは静かに町を練り歩き、

馬鹿騒ぎしたり怒鳴ったりすることはないのです。

 



さてその起源は18世紀にさかのぼります。地中海の女神と謳われたベニスも衰退が始まっていました。

閉塞感の漂う社会の中で庶民も貴族も互いにガス抜きする場が必要だったのです。

今の日本にも必要かもしれませんが・・・・・・・・・・・

仮面をつけてマントをかぶればそれぞれの階級も性別も年齢も気にすることなく行動すること

ができ、楽しめたということらしいのです。しかし共和国の崩壊ととも開催されなくなった

このカーニバルが復活したのは1970年代です。

余談ですが、1970といえば日本では大阪万博が開催されたとしです。東京オリンピックの次の

日本における国際的な大イベントで経済は右肩上がりの成長を続けていくことに成るわけです。


冬の北イタリアは新潟と同じように寒いんです。ベニスは 北イタリアに位置して後ろには

アルプス山脈が連なりドロミテの連峰がありますからね。とにかくさむい!!

ですからこの時期さすがに観光客も足が遠のくことになるわけですよ。もうお気づきでしょうが

町おこしといったら今日的でしょうか?観光客を呼び戻すために昔のカーニバルを復活させたところ

これが馬鹿あたりしたというわけ。

 

 



僕も何度かベネチアに行っていますが偶然に2度もたまたまカーニバルに当たってしまいました。

一度は日本から仲間たちを案内してイタリアを回った時ほんとにたまたま当たってしまって

町の中に部屋の予約が取れずに困ってしまって隣の町まで行って部屋を確保した思い出

があります。まさかカーニバルのことなんて考えもしませんでしたから、イタリアでの滞在は

ほとんど予約なしで皆を連れ回していました。

皆さんも夏の観光はもちろんすばらしいのですがもし冬に当たりそうでしたらベニスのカーニバルに

合わせたスケジュールを組むと思い出に残る旅となると思いますけど。どうでしょうか。

そしてせっかくですから貸衣装屋さんもありますので仮装して参加されたらほんとに楽しめるの

ではないかと思います。


 

10:ヴェローナVerona

 

 

11:イタリア日記「PEROぺロ~」

 

 

たまに会話がイタリアのこと 生活環境から イタリア人の性格に及んだりします・・・
たいがいは「快活でオープン 良くしゃべりよく食べる」な~んてことで一致します。

まあ僕に言わせてもらえば・・・ たとえば相手を喜ばすことが好きなくせに
最後に一言言わないと気がすまない あんた 君 的な性格でしょうか。
イタリア人が良く使う言葉で「PEROぺロ~」って言葉があります。                      日本語に訳すと「 でも、しかし 」と訳しましょうか。  


この言葉がイタリア人の性格を象徴してはいないかと・・・
こんなことがありました。みんなの依頼で友人のうちを借りて僕が日本食をみんなに振舞うことになりました。

そのときのメニューは  ・・・牛肉のお刺身  海苔巻き寿司  スパゲッティのカレーソース
なんかでパーティは大いに盛り上がり・・・話はスパゲッティの段になり
せっかくみんなからお褒めの言葉をいただいているとき・・・一人が
こんなせりふを 「いや~あのソースはすごいね、いったいどうやってつくったんだい?」
「PERO(ぺロ~)やっぱりスパゲッティは旨いね!!」

話はそうなるか・・・ほんとはいったいどっちが旨かったんだい?  最後の一言はほんとに要らない!
ソースか? スパゲッティか?    つまりどんなに褒め言葉や肯定的な言葉があってもその後にPEROがつくと
その後には  前言を否定しかねない言葉が大口を開けて待ち受けているのです。

あな、おとろし~
相手を喜ばせたいと言う気持ちから  相手に合わせながらも・・でも結局は
合わせたその意見を覆すような・・一言を いわずにいられない厄介極まりない  そんなイタリア人の性格  をこの言葉「PEROぺロ~」がよく表しているのではないかと・・・・思うわけです。

 

12:新しく古いイタリア語と日本の関係

 

 

僕たち日本人が意識することなく普通に使っているものの中に実はイタリアと関連するものが・・・
たとえば一週間を7日とする考え方。その起源は古代バビロニア、ユダヤ教から来ているもので、

実は、月の満ち欠けする期間の1/4に相当するものです。これを現在皆さんが使っている月火水
木金土日のように呼ぶようになったのはギリシャ人やローマ人の影響で紀元前2世紀ごろに始まった
ようです。 ローマ人はギリシャ神話の神々をラテン語風に変えて、神話をもローマ化しました。 
その後ローマ人によりキリスト教とともにヨーロッパ中に広まったわけです。 

ですからラテン語を起源とする言語を持つ国ではほとんど同じ様なスペルや発音をもつようになった
のだと思います。
下の曜日表を見ると英語にもその痕跡を見ることが出来ると思います。

イタリア人は一週間をどう呼ぶのかと言うと・・・
曜日表

日本語  イタリア語曜日      そのイタリア語源        
       
月曜日  lunedi   ルネディ・・・・・・・・luna  ルーナ (月) +di   ムーン (英) .
火曜日  martedi マルティディ・・・・・・marte マルテ (火星)+di    マース(英) .
水曜日  mercoledi メルコレディ・・・・mercurio メルクリオ(水星+di   マーキュリー(英)
木曜日  giovedi   ジョベディ・・・・・・giove ジョべ  (木星)+di    ジュピター (英)
金曜日  venerdi  ベネルディ・・・・・venereベネーレ(金星)+di    ヴィーナス (英)
土曜日   sabato  サバト (安息日)) .
日曜日  domenica ドメニカ(主の)         .

のようになっていて曜日は基本的に 語源+di からなっています。
またイタリア美術探訪でも出てきましたが「ボッテチェッリ」の「ビーナス誕生」はイタリア語では
「Nascita di Venere」ナッシータ ディ ヴェネーレで上に記述した神話の英語表記の
ヴィーナスと一致します。    平原綾香さんが歌っている「ジュピター」
はもちろん英語表記で木星を意味して更にギリシャ神話のゼウスを指すことにもなることが
お分かりになると思います。   おもしろいですね!!

 

 


あるいは音楽用語にいたってはほとんどイタリア語ですよ。
Forteフォルテ(強く)  Fortessimoフォルテッシモ(最高に強く)
Pianoピアノ(弱く)   Pianissimoピアニッシモ(最高に弱く)
Ancoraアンコーラ(アンコール)   Bravoブラボー(よくやった!)などなど・・・・・・
我々が習った音楽用語はほぼイタリア語のようです。


更に話は替わって
日本最初の紙幣をデザインしたのは確かイタリア人だったと思いますけど。      最近お店の名前や車の名前に英語やフランス語ではなく意外とイタリア語がつかわれているのを見ます。  Arrivare到着する とか Poporare集まる とか    Tantoいっぱい Domani明日  などなど 探せばいくらでも出てきそう ・・    ほんとうにさまざまです。


・・・・・とまあ新しく古いイタリアとの関係はいがいにわれわれ日本人
の暮らしの中にとけこんでいるようです。

 

13:秋風が吹き始めるとイタリアではどんなだったかなあ~

秋風が吹き始めるとイタリアではどんなだったかなあ~
田舎だったら 果物や野菜あるいは豚を解体して保存食なんか作ったり
山へ出かけて栗やきのこを採ったりと何かと忙しいのです。と言っても40年も前の話だから如何に変化の遅いイタリアでも2023年現在ではどうなのでしょうか?

日本と違うところは夏休みが終わると新学期です。大人たちは
のんびりとすごしたバカンスが終わり子供たちは楽しかった時間の終わりです。
誰もが気を引き締めて勉強や仕事に打ち込まなければならないとき・・・・・・・

さて家庭では具体的に何をするの?・・・・・・・・
冷蔵庫のなかった時代の大切な、でも楽しい生活の知恵アプリコットやカリンならジャムにするとか、イチジクなら乾燥させてオーブン焼きにするとかね。野菜なんかはきゅうりやズッキーニ、ナス、パプリカなんかをオイル、ビネガー
ワインなどを使いビンに漬け込んで何でも保存してしまいます。
こうして冬場アンティパストとしてあるいはつけあわせとして食卓を飾り
重宝することになるのです。・・・・・今では田舎だけのはなしなのかなあ?

もちろん秋は行楽のシーズンでもありますし、男性はショットガンを持って
ハンティングなんてことも。僕も実際ミオアミーカ(友人)のお父さんに誘われたことがあります。免許も持っていないのにね。そういえば家に遊びに行ったとき 一生懸命に薬きょうに小さな鉛の玉を詰めて  狩の準備をしていましたっけ。

栗はどうかというと、古来ヨーロッパ各地で栽培されてきました。ご存知でしょうか?
イタリアは品質収穫量ともに有数の生産国でその品種も日本より多いのです。街角では焼き栗が実際に炒りながら売られており日本以上に秋の到来を感じさせてくれる風物詩となっているのです。私も一袋買って歩きながら食べましたが、これが実際ケッコウ量が多いのに閉口しました。
価格は日本に比べてかなり安めかな。秋の行楽といえば そうそう 登山の好きな方ならご存知の方がいらっしゃると思いますが「ドルミテ」に行ったときのことが思い出されます
写真があれば掲載したいのですが・・・・探してみますけどどうかな?・・・・
何とか2枚だけありました。



緑の針葉樹林の上をゴンドラが上を目指して静かに進んでいきます。あたりは静寂で
ただゴンドラの音がするだけ・・・降りてくるゴンドラには人はなく ただ静寂の中をひたすら進む先には 赤い山 モンテ・ローザが圧巻でした。皆さんにぜひともお伝えしたいのに文字で表現できないのが大変残念!!
 

秋というと・・・そうそうこんなことがありました。             

ある日友人ととてもお天気の良い秋の日なので 車で栗拾いに山に行きました。 道路添えには山栗が自生しているのであっちこっちで栗を拾いながら登っていきました。  ふと車道山側の斜面を見てみると大きな栗がいっぱい落ちているのを二人で見つけて「すごい!!」と言いながら広い続けました。 ナイロン袋がいっぱいになったのを見て僕たちは大喜びでした。    そのときです。  上からおじさんが血相を変えて・・しかも鉄砲をもってわめいて降りてくるのが見えたのです。   今度は我々が血相を変えて、せっかく拾った栗を置いて逃げ帰りました。 イタリア人は実弾の入った銃器を本当に打ちますから言い訳をしている時間はないのです。 あとで考えると山側は個人の栗園だったのですね。だから大きな栗がゴロゴロ落ちていたのです。    ある「友人E」から以前聞いたことを思い出しました。 かれの3階のアパートに金持ちの男性が遊びに来ていて、彼はアパート下の道路にフェラリーを駐車していた、窓を見たら車ドロボーがいたらしくいきなり持っていたピストルを窓から発射したそうです。  友人Eはまさか本当に打つとは思っていなくて本当に驚いたってことを話してくれました。そんなことを知っているので僕らはとにかく逃げたわけです。        イタリアには銃砲店があり そこにはピストルから狩猟用のショットガン更には自動小銃までうっているのです。

思いがけないイタリアの秋の一コマでした。

 

 

14:爪楊枝とイタリアと日本

ヨーロッパイタリア旅行から帰られた方達が増えるにつれイタリアで綺麗な爪楊枝のパッヶがあったので買って帰ったらなんて話を聞いたりします。 そうなんです。 イタリアでは ある爪楊枝がブランドなんです。実際にブラダやグッチと並んで爪楊枝がファッション誌を飾ったりするのです。

と言うわけでその名前は「SAMURAI」なんて名前が付いています。あるいは「SAYONARA」「OOSAKA」なんてものもあります。oosakaは日本における爪楊枝の主たる生産地が大阪府河内長野市であることから来ているのでしょうか?
ちなみに爪楊枝をイタリア語ではシュトゥツェカデンテStuzzicadentiって言います。物語は北海道の白樺の木を輸出したい日本人とイタリアの爪楊枝の父、エンツォ・ロッティ氏の出会いから始まります。
ロッティ氏は、柔軟性がありしかも丈夫な白樺木材を熱やガンマ線で殺菌し、高品質で衛生的な爪楊枝の製造を実現しました。

ところで、2019年9月、イタリアの爪楊枝の父、エンツォ・ロッティ氏が死去し、彼の商品への愛情と誕生秘話がイタリアのサイトやニュース記事で紹介され話題になりました!      

エンツォ氏は、日本の武士と、マントヴァ人のこだわりに敬意を評して「SAMURAI」と名付けた、と常日頃語っていたそうです。

ここで少し注意が必要です。   基本的には食後人前で「シーハー シーハー」と爪楊枝で作業することは不躾とされていますので 皆さんご注意を!!

しかしながら、ドイツでは普通にレストランではテーブルに置いてあり、片手で口を塞いでもう一方の手で楊枝を使っていたように記憶します。この辺のところはお国によって事情が異なりますので良く調べられたうえで使ってください。
一般には爪楊枝の用途はみなさんご存じのようにスペインのピンチョスのように食材を刺して止めるのに使います。
長めのものは日本の焼き鳥のように肉や野菜を刺して使ったりします。


ミラノで評価されているブランドといえば今、もうひとつ意外なブランドがあります。それは「SUWADAの爪きり」です。そうです三条市スワダ製作所ですよね。世界一の切れ味が受けてミラノのブランドショップで評判なのだそうです。僕なんかの時代は爪切りといえばドイツの双子印、ご存知ゾーリンゲンが有名でそのスタイリッシュな形と便利さ(携帯することにおいて)で一番人気だったように記憶していますが・・・・・

そんな日本とイタリア及びヨーロッパの意外な係わり合いに注目です。

 

 

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15: イタリア人の国際感覚?

30年前の話ですが・・・その当時 一般にイタリア人は、昔 都市国家での生活だったせいかその土地に生まれるとその土地を出ないで生活している人がケッコウいたように思います。フィレンツェ、だって、ミラノだってベネチアだって行った事がないとか、就学旅行のとき一度っきりなんて人だってケッコウいる。いきおい自分の家族、自分の町が
とにかく世界で一番みたいな話になってくる。




こんなことを考えると日本人くらい外国に興味を持ち外国の文化を取り入れ外国の評判を気に掛けている国民も又世界的に珍しいのかもしれないかも・・・  イタリア人が日本について知っていることと言えばバイクのホンダ、カワサキそして サムライ 芸者 ・・・・まさにステレオタイプな知識だけでした。

30代のイタリア人が久々にフレンツェに行ったら日本人観光客で一杯なのに驚き「皆自分たちと同じような衣服を着ていた。信じられない!」なんて冗談とも思えることが正直な一言だったりしたのです。
「日本は今でも江戸時代か?」 なんて言いたくなったものです。

 



僕の友人はイギリス留学経験があるので多少英会話ができるのですがその友人のある友人 はそんな経験がなかったので、あるとき  僕に「あなた英語話せる?」lなんて突然聞いてくるのです。遠い東洋の端っこの国の学校で習った程度の語学力なんてヨーロッパの人たちの語学力に比べたら「ほんの少し、ほんの少し」って言っていてちょうど
いいということは知っていたので(実際ドイツやオランダなどでこういう
言い方で何とか、ことなきをえてすごしてきたので)同様に「ほんの少し」って答えたら、彼女いわく「私なんて、英語の一言だって知らない。」なんて言ったもんです。  

多分、日本では国際語といったら誰でも英語と信じて疑わないとおもいますが。日本以外の国ではそんな風な認識はなく、ドイツ人なら「近代科学の礎を作ったのだからドイツ語を国際語にすべき」とか「フランス語が世界で最も美しいのだからフランス語を国際語にするべき」とか「中国は世界で最も人口が多いのだから中国語を世界語にするべき」とか様々な意見があったのです。         ということで30年前の世界では英語が世界語なんて認識がなく仮にそんな事実があったとしても
英語が国際語なんて彼らは認めないでしょう。現代の若者は知らないと思いますが当時は世界語として「エスペラント」なる言語すらがあったのです。

 



そうなんです。じつは、イタリアでは学校での外国語選択のとき英語ではなく、むしろフランス語
の選択やスペイン語、ドイツ語のほうが一般的でした。  しかしようやくその後になって
政府は英語の重要性を感じて英語教育にも力を入れているときいています。子供が家庭で学校で習ったばかりの英語を使おうものならお年寄りが「ここはイタリアだぞイタリア語ではなせ!!」なんて声がきこえて来た のだとか。
分かるような気がします。  当時ドイツでもというか ドイツでは良くそんなことがありました。   そりゃ高齢の自分の町を出たこともない人にとって英語なんて関係ありませんから!

あれから30年あの時の高齢者はどうなさっているのか知りませんが 現在ではさすがにそんなことはないと思います。これだけインターネットが世界中を網羅していますので  昔々の話で有って欲しいものです。

 

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16:なんにでも付く姓

ラタイン(ラテン語)系のヨーロッパの言語はみな性を持っていますドイツ語、フランス語、スペイン語等   もちろんイタリア語しかりです。イタリア語の場合名詞の語尾を見るとその名詞が男性・単数・複数なのか 女性・単数・複数なのかを判断することが出来ます。      たとえば太陽 をIl sore イル・ソーレ(男性単数)
あるいは月  をLa luna ラ・ルーナ (女性単数)    木  をUn arberoウン・アルベロ(男性単数)
といったように性が付いています。何でそうなのかなんて聞かないでください。
それはイタリア人に聞いても彼らは決まって「non lo so」ノン・ロ・ソ「知らない」なんて言いますから。なんとなしに自分なりの解釈をすることにしていますよ、僕は。それが正しいかどうか知りませんが。


ところで日本ではコンサートや演劇が終わってその出演者をねぎらう折にどんな場面でもいつも「ブラボー・・」(男性単数)なんてよくテレビなどで耳にしますけど本場イタリアではよく聞いていると「ブラバー」(女性単数)
だったり「ブラビー」(男性複数)だったり「ブラベー」(女性複数)だったりします。
このことも、言語にすべて性が付くことを気付けばすぐに理解できると思います。つまりこの場合、
歌っている男性ソロ歌手一人だけをねぎらうのであれば
「ブラボーBravo」でいいのですが これが女性歌手であれば 「ブラバーBrava」となります。
男性のグループ歌手なら複数ですので 「ブラビーBravi」です。
では女性だけのグループなら 「ブラベーBrave」男性と女性の混合グループならば 「ブラビーBravi」とくるのです。

verona7.jpg

不思議なことに、ドイツ語ではとても厄介に感じていたこの性がなぜかイタリア語では
そんな感覚を持った記憶がないのです。なぜか分かりませんが?  不思議です。

 

 

17:イタリアのお台所では・・日本との違いは?

いきなりですがイタリアの男はケッコウ料理好きです。仕事場で「俺ならあれはこんな風に調理するぜ」と誰かが言えばほかの誰かが「いいや俺ならこうだ」などといい始めるのです。あるとき友人(女友達)が自宅に招待してくれたのですがそのとき誰が食事の準備をするの?って
聞いたら「今日はパパが作ってくれるっていってたよ。うちのパパは料理が上手だから。」とのこと。確かに友人の言うとおり食べてみるとおいしかったのです。いつも家庭での料理を見ていると台所にまな板が無かったりするのです。それは必ずしもまな板が無いのではなくどこかにしまっていて使わないとか、あったのだけれど
何所に行ったかわからないとか 中にはまったく無い家庭もあるようです。まあ日本でも
最近はまな板も包丁も無い家庭があるということを聞きますけど!

               ドライトマト
しかしイタリアでの事情はちょっと違っていて そういう無い家庭が料理を作らないとかできないのではなく必要としていないのです。皆さんもTVなどで見たことがあるかと思いますがほとんど野菜は手の平の上でカットして
直接鍋の中におとしてしまうからです。  確かに余分な洗い物をだしませんよね。魚は魚屋さんで切ったり削ぎ切りにしてもらうとか肉は肉屋で切ったりメンチにしてもらうため必要ないというわけです。
ですからたとえば玉ねぎの微塵切りなどでも、くし型に切った玉ねぎをテーブルナイフで横方向にカットしていくというもので, 当然私なんかには微塵切りには見えません。しかしそんな小さなことにこだわらないのがイタリアらしいところでもあるのです。

 

    ズッキーニ
当然このときに使われるナイフは切れ味の限りなく?悪そうなギザギザの歯の付いた
ものが重宝がられます。魚の頭や尾を落とすときにはハサミが大活躍です。
チョッキン、チョッキンと切り落としてしまえばいいのですから。
以前にも言ったことがありますがイタリアでは特に大きな魚マグロやカジキ
のような巨大なものは切り身にしてステーキにしてしまうとか トマトソースの中に入れてトマト煮にしてしまうとかしますが ほとんどの場合丸ごと使うことが多いのです。

 

    カルチョーフィ

例えばアクアパッツァなんかは丸ごと使いますしスズキやタイなんかも丸ごとオーブンに入れて加熱調理することが多いですね。

*画像はイタリア素材で文面との関連は必ずしもありません。

 

 

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18:ユーロ(欧州通貨)

ユーロ(欧州通貨)
今ヨーロッパはユーロに切り替わり,随分と便利になったと聞きます。
(もちろん変わらない国もありますが。たとえばイギリス、スウェーデン、デンマーク、ノルウェー
などの地理的にEU圏内にありながら現在も不加入な国もあります。)

最も、北欧などはほとんどが電子決済なのでスマートフォンが有ればそれで全て、済んでしまうような時代なので
国境を越えるとエクスチェンジ(通貨交換) に行くなんて面倒な作業は無くなった訳ですのでラクチンだと思いますよ。   でもその反面、どこの国に行っても同じ通貨だと思うと同じ国にいるようでなんかちょっと以前のヨーロッパを知っているものにとっては、味気ないような気がするのです。(生意気にねえ!・・・・・・・)
なぜって、それぞれの国の通貨を見て楽しむこともできませんし、写真とかお土産だけが旅行の楽しみではないはず。

たとえばドイツ通貨の「ドイツマルク」は紙質がよくて重厚さが感じられ、いかにもドイツらしいとか・・・・


「フランスフラン」は色彩デザインがとても美しくて・・・でも紙質がぺらぺらで安っぽい・・・「う~んやっぱりフランスだ!」と・・・・・失礼なやつだなあ・・・が思い出されます。下の映像はフランですが

実際本当にうつくしいのです。額にいれておきたいくらいにね!


大変残念なことに縮小してしまうとその美しさが伝わらないようです。ほんとにざんねん!!


「オランダのギルダー」は当時としては珍しく指で触って確認できる紙幣で「さすが社会システムのお国」なんて思ったものです。

紙幣左下の小さな丸い点2つが指で触ると触覚でなんの紙幣か判別できるようになっていました。近年は日本のお札にも使われていますよね。



共産国旧ユーゴスラビア(現クロアチア)はディナール

 

 

 

ハンガリーはフォーリントで

旧共産国は概ね小さな紙幣を使っていました。とにかく物資の乏しい旧共産国なので「紙の節約なんだろうか」とか・・・・


一方で「スウェーデンのクローナ」紙幣はやたらとでっかくて、四つ折りにしないとお財布に入らないとか「お国のおおらかさを表しているんだろうか」なんてね・・・などと勝手に大いに想像をめぐらすんです・


こんな風に各国の通貨を手にとって見るだけでそれぞれお国の事情や気質のようなものが感じられてなかなか楽しめるもんなんです。       そうそう、イタリアではなぜかいつも貨幣が不足していて代用としてジェットーネと呼ばれる刻印のないつるつるの貨幣を使っていました。ちょっと考えられないですよね。なんで刻印くらいが出来ないのか?理解に苦しみます。   まあそんなところがイタリアらしいのかもしれません。


*  上の映像は実際のお金をスキャナーで取り込み縮小してありますがその
色合い、美しさなどを表現するのは難しいようです。

 

 

 

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19:イタリアとRinascimentoリナシメント(ルネッサンス)

 

         最後の晩餐

我々日本人は「ルネッサンス」文芸復興と習いますが本場イタリアではもちろんイタリア語なので リナシメントと呼びます。   当時私は特に芸術に強い興味を持っていた人ではありませんでした。 

イタリアではごく日常的に展覧会が開催されていたり チェントロ(街の中央)に行けば通路に絵を描いていたりしていますので特段詳しい知識を得ようとしなくとも結構なんとなく記憶に残ってしまうのです。
僕の友達も絵が好きで良く絵を描いていまして、その作品を見せてくれていました。


さて、15から16世紀にかけて古典的作品が見直される気運が高まり
財力の有るロレンツォ・メディチのような君主が芸術を庇護することになるのはよくしられていることです。
ですから ほんとにたくさんの芸術家が活躍しましたが日本で有名な人名をあげますと・・・・

サンドロ・ボッテチェッリはメディチ家の依頼 を受け
「ヴィーナス誕生」「プリマベッラ(春)」ウフィッツィ美術館蔵・・・などを描きました。
日本人なら誰でもどこかで、何かで必ず目にしていると思います。

       「ヴィーナス誕生」

 


16世紀になると勢力の衰えた貴族に代わって皇帝や法王が彼ら芸術家の後押しをすることになります。
さてさてお待ちかね この時代になると天才と言う名がこの人ほどふさわしい人はいないと思いますが、レオナルド・ダ・ヴィンチが活躍します。誰もが知っている「最後の晩餐」確かミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラッツェ教会に展示されていて・・・ 友達に連れられて見に行ったのは覚えています。でも残念ながらその時の印象は記憶にないのです。きっと・・・別な方面に気がいってたんですね。今から考えると間抜けな話です。・・・・・
ご存知のように彼は絵画にとどまらず、工学、建築学、天文学など
あらゆる学芸の分野で才能をはっきしたようです。
そうそうモットたぶん有名な絵画がありましたっけ、あの「モンナ・リザ」さまざまな技法やなぞを今も見る人々に与え続けています。   しかし、イタリア人にとって残念なことに彼女(モナリザ)は現在フランスのルーブル博物館で人々を楽しませています。


そしてこの方も日本では超有名人ですね。ミケランジェロは詩人であり、建築家や彫刻家でもあります。
バチカンのサン・ピエトロ寺院に入ると入り口すぐ近くに「ピエタ」をみることができます。


         ピエタの像


あるいはフィレンツェ・アカディミア美術館の「ダヴィデ」なんかも有名ですよ。  街中にもありますが、もちろんこちらはレプリカです。
彼は彫刻家として最も良く知られていますが、偉大な画家としてもその足跡をのこしています。たとえばシスティーナ礼拝堂の「天地創造」と「最後の審判」はよく取り上げられます。

ラファエッロの作品は「聖母の結婚」ミラノ ブレラ美術館蔵
「小椅子の聖母」フィレンツェの宮殿蔵でその才能を発揮したのだとかいうことです。


      「聖母の結婚」


何せ国自体が美術館みたいなお国イタリアですが。その遺跡や美術館など、主要な
ものだけでも数え切れないほどの名所があります。


gar
エトルリア文明やローマ帝国期の印象的な建物のほか、ロマネスク様式、ゴシック様式リナシメント(ルネッサンス)からバロック、新古典派から未来派と、あらゆる時代を代表するような優れた建築物や美術品・・・・が世界を魅了してきたのです。
(数字はケッコウアバウトかもしれませんので「そんくらい」くらいの気持ちで考えてくださいね)

話は変わりますが
ローマの芸術は紀元前2世紀に始まったと聞いています。いろんな分野があったとされていますが、もっとも優れたものはやはり公共建築だと思います。 始めはギリシャ建築の模倣に過ぎなかったのですがその後
革新を加え、たとえばアーチをつけるとか、新しい趣向を凝らすとか・・・・・・
それはつまり神殿、劇場、大浴場(カラカラ浴場など)、コロッセオ、凱旋門等
などに現れています。大浴場に関しては以前にも書きましたがヨーロッパ各地に
その痕跡や言語などが残っています。僕が直接行ったり入ったりしたものといえばハンガリー
の大浴場でしょうか。


 

 

 

20:ベネチアのオーバートゥーリズム

ようやくコロナ禍が過ぎ去り今世界の観光地は大変な賑わいを見せるようになってきました。  とりわけイタリアのベネチアなどは以前以上に混雑を極め それ故 ベネチア在住者一般の生活まで支障が出てきました。

 

いつも観光客でごった返すサンマルコ広場

このことで人口の流失、地盤沈下による水害、大気や水の汚染、建造物の老朽化など様々な問題が起きているそうです。自分は今までお客様から「イタリアに行くけど、どこがお勧めですか?」などというお尋ねがあると迷わずベネチアをお勧めしてきましたが、現状を考えると もうとてもそんな答えは出来ません・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 市当局はここに至っては「入島税と予約制を導入」のような対策を考えているようです。
この制度はベネチアに来る全員に課税されることになりますが同時に予約が必要となります。但しベネチア市内に宿泊する人は免税されるそうです。

つまりこれは一日に何万人も押し寄せる日帰りの客を思いとどまらせようという意図があるようです。 更に予約するお客の管理プラットフォームの作成や 多数の監視カメラによる人の流れなどや
多数のスマートフォンからの膨大な情報の解析をするための最新で世界最初のシステムの導入などを目指しているのだとか・・・

日本でも京都では同じような状態になっているようですが、日本人にこんな思い切った対策を打てるかどうか?・・・・
なんだかあまりにも管理管理となると 詰まんない観光地になってしまいやしないかと危惧してしまいます。でもこの美しい世界遺産の街を未来に残すことは最重要課題でもあります。
やっぱり・・当然ですが・・・難しいですね!

 

 

 

21:シチリア島

 

 

 

以前塩の話で出てきた南イタリアの最南端の島シチリアについて・・・そう人口は500万程度 現在は観光と農業の島と言った印象があります。しかし其の歴史を紐解けば本当に激動の歴史なのです。即ちローマ、東ローマ帝国、アラブ、ノルマン王朝、アンジュー家、アラゴン家(スペイン)と様々な国や王朝の支配を受けてきました。故に様々な食文化と土着の文化が入り混じり今日のシチリア食文化が育まれたのです。

そしてここにイタリア料理の2大潮流が始まったと考えられているのです。其のひとつはクチーナ・リッカ(金持ちの料理)、そしてもうひとつはクチーナ・ポヴェッラ(貧乏人の料理)です。アラブからは豊富な目新しい農産物が其の栽培方法と共にこの地にもたらされました。シナモン、カルダモン、サフラン、米、柑橘類、サトウキビなどなど・・・・・
スペイン統治時代にはあの過度とも思えるようなバロック建築と共にドルチェ(デザート)を初めとして様々な料理に華麗なデコレーションが施されました。Pan di Spagnaビスキュイ、ジェノワーズ(現在のスポンジケーキ)などもこの時代だといいますのでおどろきです。私などてっきりフランスのものかと思っていましたからねえ・・・最もフランス料理の基礎はイタリア料理ですから。      ご存じの方も多い方思いますが・・・「イタリアのメディチ家の王女カテリーナがフランスのアンリ2世に嫁いだ時に連れて行ったシェフ達がイタリア料理を伝えて後にそれが発展してフランス料理の基礎となる。」ってはなしでしたね。
更に、Sorbetto(シャーベット)、Cassata(カッサータ)、Torroncini(ヌガー)などもそうだそうですから。    

 

 

 

ノルマン統治時代にはBaccala( 塩漬け鱈)、Stoccafisso(干し鱈)などが入って来ます。何でイタリアに塩漬け鱈なんかがと何時も思っていましたが・・・
ノルマン人とは北欧バイキングの末裔ですからなるほどと納得したのでした。

そしてもっとも重要なのはアラブの影響です。あの有名なマルサラ酒、良く料理やデザートに使いますがこれは都市の名前でMarsalaからきています。そしてこの都市名が実はMars Allah(アラーの町)が語源だそうですよ・・・シチリアの首都パレルモには
モスクが立ち並び・・・・・・・・教会があり、古代ギリシャ風の野外劇場があり・・・・・・様々な文化がはいって いたことの証明です。よって「文明の交差点」などとも呼ばれていました。


 


ほんとにシチリアはイタリア本土と違い日差しが強くシチリアで撮った写真はみんな白っぽい感じで写っていて・・光の量が半端なくって画像を見ると一目両全ってかんじです。

植物も本土と違い、サボテンなどが生えていて春先など誰もいない野外劇場で寝そべっていると地中海の風が
ほんとに心地良いのです。時間が止まってしまったようなそんな気分になったことがありました・・・・・・・・そんな時なぜか「赤土っぽい香りがしてこれは紛れもなく北アフリカの赤土の風だ!なんて思っていました。」そう言えばローマの空港のチアンピーノ、だったかフミチーノだったか忘れましたが、そこ発のシチリア行きのフライトで、パレルモについて自分はおりましたが トランジットでアフリカに行く飛行機に乗った人は全員アフリカの人たちでした。自分的には初めてみる光景だったのでものすごく印象に残っています。「ああこの対岸にはアフリカ大陸があるんだ!」ってね。

 

 


sicilia

 

 

22:ヴェローナVerona

 

 

ヴェローナその1

古代ローマ帝国の植民地にその起源をたどるヴェローナはアルプス以北の国々とローマ、ヴェネチア、ミラノを結ぶ通商路の交差点に当たることから交易の地として繁栄して来ました。 我々日本人には「ロメオとジュリエット」の街としての方が分かり易いのかも知れません。 今日においては北イタリア北東部の農作物、畜産品の集散地で新鮮で美味しい食材が集まりグルメの街としての評判がたかいのです。                    もちろん、
ローマ時代公共広場(フォロ)だったエルベ広場。現在は中世からバロック期
に掛けて造られた建造物に囲まれている中世ヨーロッパの雰囲気溢れるまちです。

 

2万5千人もの観客を収容できる円形競技場アレーナもローマ時代に造られた。
夏季には野外オペラのコンサート場としてつかわれているようです」
そして小腹のすいた時にちょっと食べる今で言うファストフードとして
厚めのパンにプロシュート・コット(加熱調理したハム)をはさんだフォルチョット
丸いパンにプロシュート・クルード(生ハム)をはさんだカモーリは
良く食べられます。まあ定番といったところでしょうか。

(円形競技場アレーナ)

( 野外オペラのコンサート場として)

 


ヴェローナが大変なことに   その2

その昔イタリアがまだ都市国家だったころ、日本の歴史で言えば戦国時代のような時代ですが、ローマ教皇派
とローマ皇帝派に別れ戦いを続けていた。      又なかには一つの街の中で教皇派と皇帝派が反目しあっていたところがあったというのです。   その一つがヴェローナで二つの家が対立している中でロミオとジュリエッタの物語がうまれたというのです。  まあ、シェイクスピアの作った戯曲ですけどね。  しかし、元ネタの彼らの生家は今も残っていて今は観光名所になっているとのこと。

 

(ロミオが声を掛けた広場とジュリエッタが姿を見せたバルコニー)

 

ともあれ、そんな時代の中で権力や家柄を越えて愛を貫こうとした二人の舞台である町が今は世界中の観光客を集めています。
そしてここからが興味深いところですが世界中の恋に悩める若者から恋愛相談の手紙がジュリエッタにとどいている
と言うのです。      それに対してボランティア有志がジュリエッタの秘書と言う肩書きで返事を書いているとのこと。
聞くところによると始まりは多分観光客の一人がジュリエッタの棺跡(観光名所となっている)

 

 

 

に悩める自分の恋愛相談の手紙をおいたことで、それを読んだ市のお役人がその深刻な内容にとてもほって
おけなく思い ジュリエッタとして返事を書いたのがはじまりなんだそうです。
あとはもうお分かりでしょうがそれがうわさとなり世界に広がり恋愛相談の、あるいは悩める思いをしたためた
手紙が次々とベローナに届いているということです。      現在はボランティアが有志を募りプロジェクトチームを組みジュリエッタの秘書として 返事をかきつづけているようです。

※  予めお断りしますが実は僕は仕事の都合上何度もこの街中を通っていますがいつも通過するだけでじっくりとこの歴史的街を観光したことはありません。今となってはほんとに残念なことですが・・・したがって今回ここで使わせていただいた画像は当時買っておいた絵葉書からほとんど拝借しております。ご容赦下さいませ。
・・・・イタリアにいるのにカメラも持っていなかった当時・・・・遊びに行っていたわけではないのであしからず・・・・・・・絵葉書は使うためではなく自分の記憶のために買っておいたものです。 

 

 

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23:イタリアのクリスマス  その1

 

A natale con i tuoi , a Pasqua con chi vuoi
ア ナターレ コン イ トゥオイ   ア パスクア コン キ ヴォイ
なんてことわざがあります。その意味は「A natale(クリスマス)は家族と
A Pasqua(復活祭)は好きなひとと」なんてことになっています。ちょっと、

 

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ひょっとしたら、ことわざではなくこの時期良く聞くフレーズだったのかもしれません。

カトリックの国、総本山でもあるイタリアではA nataleナターレ(クリスマス)は
宗教上日本人にとってのお正月やお盆に当たるのかも知れません。もちろん
カレンダー上は25,26日と休みになりますが。25日は午前中普段めったに行かない???
教会に家族全員でミサに出かけます。  このことは日本に置き換えると初詣かもしれません。
だってほら普段神様仏様に無縁な人々がいっぱい神社にでかけるでしょう。そっくりだと思いませんか?

その後親子三代に渡る大家族が集まり大お食事会
の始まりとなります。地方ごとに典型的な料理がありそれを家族みんなで作り、又は
持ち寄ったりして饗宴を楽しむと言うことになります。例えばおばちゃんの作った
「赤いサーディン」  オイルサーディンのフィレの部分をヴィネガーで洗ってトマトソース
で合えたものなど。  でも日本の「おせち」のように必ず決まったものがあるわけではないのです。
実際のところ家庭ごとに得意な料理を作ったり持ち寄ったりするようですよ。

クリスマスのお菓子といえばパネトーネかな。つまり砂糖漬けの
フルーツなどが入った直径20~30センチの釣鐘状のスポンジケーキ?のこと。普段は

 

 

panettone.jpegpanettone01.jpg
お店で見ることはないのですが、この時期になるとあっちこっちのお店にズラリと並び
ます。お値段は¥1000前後です。形からスポンジケーキなんていいましたけど製法から言えば
パンといったほうが正確なのかも知れません。普通のケーキと違うところはやたらと日持ち
のするところでしょうか。一ヶ月くらいもってしまいます。

さてその理由は・・・・ 起源はミラノ近郊と言われていますが、パネトーネの名前はパネトーネ菌に由来しています。この菌は子牛の腸内から採取され、これを小麦粉と混ぜて培養して作り上げた天然の酵母なのですが
これが又北イタリアの特定の地方でないとなかなか育たないといわれており、たとえば日本で培養しようと
すると相当高度な職人的技術を必用とするらしいのでです。
さて核心のこの菌の特性はというと保水性・防腐性・防菌性に優れ、酸性が強く、乳酸菌と共生しているためか
長期保存が可能なものとなります。また、乳酸菌が働くことによって独特の風味のある
柔らかな口当たりを生み出す事となります「アスティスプマンティ」のような甘口の
デザートワインによくあいます。  ちなみに「スプマンテ」とは「ドイツのゼクト」「フランスのシャンパン」に当たるイタリアの発泡性ワイン(スパークリングワイン)のことです。

聞くところに拠ると最近では伝統的なドライフルーツ入りだけでなくさまざまな種類があり
チョコを使ったものとか中にはほんとにスポンジを使ったものまであるとのことです。
伝統ってそのまま全く同じものの継続ではなく時代とともに変遷していくものなのでしょうね
しかしこの時期どこに行ってもこれが(パネトーネ)が出て
来るので人によってはクリスマス前に飽きてしまってなどと言うことが起こるのだとか?

地方によっては上の画像のパンドールなんてものもあります。記憶が正しければフリウーリベネッツアジューリア州のものだったと思います。

 

 

24:イタリアのクリスマス  その2

さて、日本ではクリスマスが大盛り上がり、お正月は家族でお雑煮なんて
パターンとしたら、イタリアではクリスマスは家族で、大晦日から元旦に架けて
は夜通しダンスで大盛り上がりなんて違いを少し話したかもしれませんが。
実はイタリアはカソリックのお国なので本当はクリスマスなどないのです。

クリスマスってもともとオランダの民間伝承がアメリカに伝わり今日の形になったの
ですからイタリアには逆輸入された訳です。大体イタリアにはトナカイなんぞ住んで
居るわけないし。そのもともとの本人とされる聖ニコラスなどその存在の不確かさ
から教会暦から削除されたとか、とまあそんな夢を壊す事がありまして。

 

 

ともあれ
僕の友人のイタリア人の家にもちゃんとツリーがキラキラしていました。
今やイタリア人も嫌いではないようでサンタさんをBabo Natare(ひげのおじいさん)
と呼んで親しんでいるようですよ。親は子供が可愛いし!これを業者がほっとくわけが
ないでしょう。

そしてイタリアにも民間伝承があって一月何日だったか覚えていませんが同じ
ようなものが有りました。魔女 或いは妖精だったかなんだかが子供たちにお菓子を持ってくる
のです。   そりゃあ子供たちにとってはプレゼントは何度貰っても嬉しいのは!
万国共通ですよね。ほんとに・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2023年07月28日