ブログ2


Chiacchirata(雑記ノート)

イタリア以外のあれこれ 


Euro musicc ユーロ・ミュージック
おもしろ外国語!!
ノーベル賞とストックホルム       スウェーデンの秋       スェーデン産マツタケ              スウェーデンのクリスマス          
発展は運河と共に オランダ 

D:1ドイツの春はホワイトアスパラと共に          D:2ドイツワインの産地モーゼル河岸

D:3ドイツという国での思い出 Cuxhaven

オクトーバーフェスト         ドイツ人的気質など
ドイツにはお笑いがないの?
ザグレブで飲んだホットワイン             クラヴァト(ネクタイ)とクラバッテ


*  1970~1980年代の本当の共産国知りたくないですか?
この時代の共産国が面白い!!
h1:東欧諸国とロシアの関係と西側諸国への思い
h2:ではまずハンガリーについての思い出は?
h3:社会制度 (教育 医療 インフラ)
h4:田舎での自然環境
h5:治安と警察
h6:ここでちょっと現在のハンガリーを少し

h7:農業と食           h9:観光

 

*******************************************************************************

  Euro musicc ユーロ・ミュージック

最初にヨーロッパに渡ったころいろんな音楽が耳に入ってきました。
当然行った場からなので言葉は全く分からないのですが、聞けないような音楽がないことにとても驚きました。
というか みんないい曲に聞こえたのです。ドイツでもイタリアでも。                 
そして当時 ドイツでは,ダンスの踊れないような音楽は基本的にまずヒットしませんでしたね。
音楽にはいつもダンスが付き物で、いつもセットでした。それはどんな地域に行っても必ずどこかで
○月○日何時に「ダンスを行います」的な張り紙が容易に見つかることからも見て取れます。

会場としてはホテルのホールだったり村の集会所だったり、昔の馬小屋だったりとさまざまな場所で開催されていました。     そこには老若男女が比較的ラフなスタイルでお相手を連れて集まります。あるいはお相手のいない人はそこでお相手を探す社交場でもあります。つまり、音楽は聴くものというよりダンスを踊るためや、人との関係を結ぶための大事なツールであったんです。  お相手のいない人はそこでお相手を見つける場として機能していたのだと思います。

 

 

ところで 話は音楽から外れますが、若い方でこれからヨーロッパに渡ろうとする人が「向こうで生活を楽しむためには何が一番大事ですか?」
って聞いて来られたら、迷うことなくこうこたえますね。  


1:社交ダンスができること。             2:言葉が出来ること。
3:日本人らしい何か文化あるいは技術を蜜漬ける。
    何でもいいんです。たとえば折り紙が出来るとか、生け花が出来るとか、柔道や空手や合気道なんかも 有名ですから、剣道なんかも結構いいですね・・・2段くらいの段位を持っていれば向こうではなかなかいませんから人に教えることも出来るでしょうし、かなり強いアドバンテージでしょう!
しかし現在では、相手が若者ならアニメやまんが の知識は世界共通言語かも知れません。


   話を戻しますがドイツでは日常の中の音楽とダンスの結びつきは強く、飲むと、とてもよく歌うし、歌うと必ずといっていい程ダンスがつきます。 以外や、飲むと驚くほど陽気になります。普段の生活の反動でしょうか?

 

自分の履歴とかさなり・・・・・
ドイツ音楽ではありませんが皆さんがご存知のABBA アバ は EURO VISION ユウロビジョンの音楽大会で優勝して(Waterlooワーテルロー)一気にスターダムへ駆け上がりました。
20~30歳台の日本人は知らないかもしれませんが当時は日本でも大人気になりました。
彼らのデビューはほんとに衝撃的でした。それまでのユーロミュージックから考えてね・・・
曲調もコスチュームも画期的でした。
自分にとってほんとに記憶に残る、思い出のよみがえる曲なんです・・・・
まあどれもだいたい楽しい音楽が多かったのですが、Boney M ボニー・エムなんかもよく聞きました。
Arabesqueアラベスクは日本の方が、ディスコブームとあいまって人気があったと聞いています。
涙が出るなんて曲もそれはそれでいいんですが  楽しい音楽は彼らの疲れをとり明日への活力になるようにおもいますし・・・楽しい曲が多かったイメージがあります。
何でも楽しくさせてしまう音楽ってすごいですよね。

お若い方でもしご存じないならぜひ聞いて楽しまれてはいかがでしょうか?
You Tubeで検索すれば直ぐに聞くことができます。ほんとにいい時代になりました。
今聞いても自分的にはまったく色あせていませんね。

ちなみに良く聴いたいたグループで「Bony M 」ボニー・エムの主なラインナップはこちらです。

1・Rasputin ラスプーチン                   .
2・Bahama Mama バハマ・ママ               .
3・Belfast  ベルファスト                   .
4・Daddy Cool  ダディ・クール                .
5・Ma Baker  マー・ベーカー                .
6・One Way Ticket  ワンウェーチケット          .
7・River of Babylon  リバー・オブ・ベイビロン       .
8・Braun girl in the Ring  ブラウンガール・イン・ザ・リング
9・Hooray Hooray  ハリー・ハリー             .
10・Sunny   サニー                       .

 

 

ノーベル賞とストックホルム

「明るい、希望を抱かせるニュースが飛び込んできました。
日本人がノーベル賞を受賞!!」などという季節の到来です・・・

それはさて置き
確かストックホルムとその市庁舎の写真があったはずと思い浮かべ探しました・・・・・・ところ
出てきましたよ。     ん~十年前のストックホルム市庁舎、そうノーベル賞授賞式をおこなうところです。

ストックホルム市庁舎概容

 

 

中庭かな・・・

 

 

 

授賞式は多分毎年12月に
「青の間」と確か「黄金の間」のどちらかでなされると思いますが
何せもうどちらだったかよくおぼえていません。


どの部屋がどの部屋かも良く分かりません。残念ながら

そう言えば 受賞者はみな「グランドホテル インストックホルム」に宿泊するのだとか変な記憶だけが残っています。

 

 

話は飛びますが、ノーベル賞受賞率を論じるとき対人口比において世界一の受賞率を誇るのは実はハンガリーなんだそうです。

このことを考えるとき、僕はスウェーデンでもハンガリーでも暮らしていたことをなんかとってもふしぎな巡り合わせを感じます。 もちろん単なる偶然ですけどね。

**うんちく***
ところで昔現地で使っていたスウェーデンの表記はKonungariket Sverige (スウェーデン王国)
コゥーネゥンガリケト・スヴェリエと呼びます。

ハンガリーの表記はMagyar Koztarsasag (ハンガリー共和国)マジャル・ケスタールシャシャーグ
これは実際難解です。

そこでもっぱら通称としてのMagyarorszagマジャルオルサーグ

のほうを使っていました。このマジャルとはマジャル人のことでハンガリー人の70~80%くらいたぶん
を占めるところからこの名がついたのかな・・・・

日本にいる日本人が自国のことをジャパンって言わないように
現地では(ハンガリーでは)マジャルオルサーグって言うわけです。

最近はそうでない人もいますけどね!「ジャパンを背負っているからには勝たなければいけない」とかなんとか・・・しらんけど



さて市庁舎はこのくらいにして町をちょっと かる~く散歩して見ましょう

一度だけでしたけど観光目的でストックホルムのツアーに参加したような記憶があります。
以前ベネチアのところでも言ったころがあると思いますけど
ストックホルムもまた、水の都としてその名を世界に知られています。


 

 

 

夜景を取ってみました。

 

 

さすがにその名に恥じない水の都です

 




 

市内のようすです。    車が少ないですね~
なんか普段はもう少し多かったような気がしますけど・・・・・・こんなもんだったのでしょうか

 

 

 

 

確かお国の面積は日本より少し大きく人口は日本の1/10くらいだったと思いますから

とにかく人口密度が低いのです。


スウェーデンの秋

この時期スウェーデンでは庭のきのこを取ったり・・・・・

庭に勝手に食べられるきのこが生えるんです。スウェーデン人は食べませんけどね。

あるいは良くやったのは海岸の岩場からルアーを投げてスケソウ鱈をつりに行ったことかな。

 


スケソウ鱈はたとえば日本なら沖合いでしか捕れませんが、日本海側 寺泊などでは、沖合いで深さ150

m位が魚場となります。

しかし、スウェーデンではどういうわけか岸辺までやってくるのです。それはもしかしたら地形の違い

、スウェーデンの地形や緯度、海水温の違いなんかもあるのかもしれません。

 


朝早くたぶん5時くらいだったでしょうか。近くの海岸に一人で出かけ沖に向かってルアーを投げ入れます。

最初はまったくあたりはないのですが・・・ ある時間が来るといきなり釣れだします。その後はもう

入れ食いじょうたいです。しかしその後 1時間もするとばったりと釣れなくなります。

ですからいかに早く魚をはずしてまた投げ入れることができるかが、勝負となります。

こんなにつれるのに、私以外につりをしてる人はいないので魚はその辺に釣りっぱなしにしておきます。

でもほんとは、釣った魚はすぐに棍棒で魚の頭をたたいて殺さなくてはならないのです。そうしないと

動物虐待になってしまいます。この辺がスウェーデンらしいところですね。

でも僕は時間がもったいないし、誰も来ないことはわかっているのでほったらかしでおくのです。

そのほうが数つれますもん。

 


ルアー以外には海のミミズを使いました。どんなものかといえば日本で言えば「鉄砲ジミ」なんて僕は

子供のころ言っていました。その大ミミズが透き通ったグリーン色になったものと思っていただければ良い

と思います。あの子供のころの「鉄砲ジミ」と違って、とても美しいミミズでした。

それをどうやって採るかといえば、潮が引くと砂浜が現れるのでそこをよく観察すると小さな穴を見つけ

ることができます。そこを二人で シャベルを持ち見つけた小さな穴を中心にして向かい合い

両方でシャベルを縦に差込みその後シャベルの柄を両方同時に寝かすことにより、砂の下30cmにいる

ミミズを掘り起こすのです。このミミズは万能で何でも釣れます。

 

スェーデンの有名なメーカー「アンバサダー」の太鼓リールです。当時日本の釣り人のあこがれのリールだったそうです。 丈夫で本当によくできていました。


さて、持ち帰った鱈は一部はお刺身にして食べます。これが実においしいのです。気が付いた方がいらっし

ゃると思いますが「寄生虫が大丈夫なのかって」思いますよね。  もちろん良く良く見ましたよ。でも寄

生虫は見つかりませんでした。地元在住の日本人に聞いたら「それはだいじょぶだよ」って言っていました。
初めて鱈がお刺身で食べれるなんて知りましたね。

残ったものはすり潰しハンペンにして食べました。びっくりするほど弾力があり美味しいのですよ。

そりゃ~そうですよねとびっきり新鮮で100%スケソウの白身ですから日本にいたってなかな

たべれませんよね。こればっかりは。なぜって言えば 今の 日本ではほとんど100%助宗ダラを使ったすり身など そうそう存在しないからです。

 

スェーデン産松茸

⁂ 冒頭できのこの話をしましたが先日ラジオで面白い話をしていました。今スェーデンでは皆争って松茸狩りをしているそうです。  自分がいたころ彼らはあまりキノコ狩りとかしているような話は聞かなかったですし、そういう料理もみませんでした。 なんのことはありません。日本ではマツタケがとても高価で、高値で売れることが分かったからです。

 

ところでスェーデンでは森は国民みんなの持ち物という考え方があり、つまり個人の持ち物ではないということです。なので誰でも自由にどこの森でも出入りできるのです。暇だったりすると 日本のようにエンタメ施設があまりないので「じゃ森に行こうか」みたいな話になります。

といったことも重なり松茸狩りがブームになったのではないかと思われます。

更に日本の市場の松茸の90%以上が外国産なのだそうです。その産地はアジア、北米、アフリカ、北欧など世界中です。   しかし中国産は香りが薄いしカナダ産は香りはいいが形がマッシュルームのような形で白色で日本産とちがいます。

ところが驚くことにスェーデン産松茸は形香り色共に日本産と同じで価格は日本産の1/2なのでとても評判なのだそうです。   しかもヨーロッパ人は松茸の香りが好まれないのだそうです。トリフはすきなのにねえ ???私には理解できません。  私がいた当時そのことに気が付いたら人生がかわっていただろうと・・・・案外チャンスって日常にその辺に転がっているのかもしれないですね。  ほとんどの人がそれに気が付かないだけ・・・ってことなんでしょうか

⁂  ついでなので皆さんがスーパーでこの松茸を見つけたときに役立てばと思いそのメニューをここに記しておきますのでよろしかったらご覧ください。


炊き込みご飯
① お米を軽く研ぎ、20~30分おく
② フライパンにオリーブオイルを入れ、①の米をすこし透明になるまで炒める
③ マツタケを小さめにカットし、軽く炒める
④ 炊飯器に米・マツタケ・みりん・酒・お出し・しょうゆ・水を入れて炊く

ホイル焼き
① 何かタオルなどででマツタケを軽く拭き、土などを取り除く
② 大きなマツタケは食べやすいようにカットし、小さめのものはそのまま
アルミホイルに乗せる
③ 酒としょうゆをマツタケにたらし、オーブントースターで10~15分焼く

すき焼き
① 牛肉をごく軽く炒める
② マツタケを厚めにカットし、ネギ・出汁・好みの具材(豆腐 シラタキなど)と一緒に鍋に入れて火にかけ、蓋をして蒸し焼きにする
③ 牛肉を鍋に入れ、割り下を加え さっと仕上げる

・・・あくまでも参考と考えて各自でアレンジしたら良いと思う・・・




 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


おもしろ外国語!!᧤᧦᧧᧨ ЌЎЖЁ ؁؂؃؉ ABC
なんとなく使った日本語がその国の言葉として捕らえられたり,或いはある外国語が日本語のように感じたりして「え~ !」なんて思ったりすることがありました。言葉や音節が日本語と似ているなんてことは時に聞くことがあります。たとえばフィンランド語やイスライルのことばには結構あるらしいです。    これは発音が比較的明瞭で前置詞がないことに由来するらしいのですが・・・


まあそれは置いといて・・・
たとえばドイツ語で「A Zo~ ア ゾ~」なんて言葉をよく耳にしましたがこれは日本語の「あ、そ~」とほとんど 同様な使い方をしますし、意味もおなじようですよ。これを聞くとなんとなくドイツ語に親しみを感じたものです。そんなわけでついつい、つたない会話の中で混同して使ったりしてね・・・・


日独の笑い話の中によく出てくる話なんですが・・・・
日本からドイツに来たばかりのニューフェイス(新人駐在員)が、「Nature called me自然が私を呼んでいる」のでどうしても我慢できなくて急いでトイレに駆け込んだときのこと・・・・・ドアノブに手をかけてドアを見たところ「Heren」と書いてあり、これを「へーれん」と読んでしまったので入れないのかと思いもう一方
のドアノブに手をかけてドアを見たところ、今度は「Damen」と書いてあったので「だーめ」と読んでしまったのでやっぱりだめなのかと思い途方にくれたという小話です。実はドイツ語では「Herenヘレン」とは日本的に言えば殿方を意味して男性を表します。 一方、「Damenダーメン」とはご婦人を意味して女性を表すことを知らなかったのです。                            ⁂お断り:これはむかしむかしの話です。現在では空港などインターナショナルなスポットでは上の画像のように英語表記になっているかもしれません。そのむかしはこのようなピクトグラムはまだ普及していなかったように思います。



Buonasera
こんなのもあります。
「Scheveningen」スケベニンゲン。
すごい名前って思いませんか?もちろん、日本のような意味ではありません。
実は、この名はオランダの ハーグ近郊の 地名なんです。   しかもオランダでは
こんな発音ではありませんよ。なぜならドイツ、オランダでは「Ve」を「ヴェ」とは発音しません。英語で言えば「Fe又はFa」の 発音です。
 車好きの方なら誰でも知っているドイツ車名フォルクスワーゲンを「VW]と書き「フォー・ベー」
と発音します。    ということでオランダ読みにすれば「スヘフェニンゲン」もしくは「スへファニンゲン」が近いと思いますけどね。  でもでも、日本人は誰でも喜んでスケベニンゲンって発音します。

では極めつけ・・・
僕の知人で OO勝雄 さんって方がいましたが、イタリアでは人前で決して「カツオ」なんて事を言えません。人がいっぱいいるところで、彼の名前を呼ぶときにそのまま「カツオ~」なんて声を上げようものなら大変なことになってしまいますよ。なぜならイタリア語で「カッツオ」って言えば 男性自身 を意味するからです。ですから彼は同じ意味を持つ名前であるイタリア語の「勝利という意味のVittorio」をもらって「ヴィットリオ」ということになっていました。  めでたし めでたし・・・・


さらにさらに                                          イタリア フランスでは乾杯を「チンチン」って言うんです。  そこで笑ったりすると「なんで笑うの?」って聞かれますよ。  その時は丁寧に説明してあげましょう WWW 
ああ~楽しきかなイタリア語! ビバ!イタリア!!

******************************************************************************


******************************************************************************

実体験による
 1970~1980年頃(冷戦時代の一時期)
の東ヨーロッパが面白い!!

今はもうあの時代の本物の社会主義国を体験することはできない。貴方はベルリンの壁崩壊前の社会主義国の実態を知っていますか?
・・と言っても、これは私個人の実体験による意見です。そこのところをご了承くださいますようお願いいたします。

h1:東欧諸国とロシアの関係と西側諸国への思い


自分はまだ冷戦時代と呼ばれていた時代のなかで1976~1978年頃 
東ヨーロッパで生活したことがありました。当時のユーゴスラヴィア、ハンガリー、チェコスロバキア、
ポーランドなどではロシア(当時はソビエト連邦)は
東欧の一般民衆に大変嫌われていました。そりゃそうですよね散々いじめられていましたから。
 やたらソ連に都合の良い規制ばっかりですし。
例えば車だけをとっても「A国は大衆乗用車だけB国はトラックだけ作ってよい」のように管理され 独自に作りたいものを作ることは許されなかった。
ロシアにとってこれらの国が自由に発展して力をつけてもらっては困る理由があるということです。

ウクライナ問題がメディアを賑わしていますが。一般に東ヨーロッパ諸国
では「嫌ソビエト」がありました。ですからソビエトが崩壊したとき
西側が彼らをEUおよびNATOに勧誘したのではなく
彼らが意思を持ってEU及びNATO加盟の決意をしたのはごく自然な流れなのです。
もちろん、西側経済へのあこがれも多分にあると思いますが。

面白いことに、日本に対してはたいがい大変良いイメージを持ってくれている諸国でもあります。
なぜかというと大嫌いなロシアをやっつけてくれた国ということで。はは・・
つまりは「敵の敵は味方」ってことでしょうか。
街を歩いているときに「お前は中国人か?」と聞かれたことがありました。
隣にいた友人が「彼は日本人だよ」というと、その表情から ひどく驚き 喜んでくれていることが分かりました。 そう こちらが戸惑うほどに・・・

 

⁂:余談ですが、こんなにも他国から嫌われているロシアですがどんな人々が住んでいるのだろう?って思いますよね。自分にもありましたよ。ステレオタイプのロシアが 「 笑わない人々」「イデオロギーの中で主張のできない人々」  「日露戦争で戦った国」 「日本兵のシベリア抑留問題」 等々

でも最近のインターネットの発達の中にあってどうやらだいぶ違った人々がそこで暮らしていることが分かってきました。 以外にも日本の若者たちが自分の意志で かの地で生活しているようなのです。一般的にロシア人の日本への評価が以外や以外 とても高く親日だというのです。 

彼ら一般のロシア人からすると 戦勝国であるロシアと敗戦国日本がなぜ生活の面で真逆なのか不思議でしょうがないのだそうですよ。かなりのロシアの若者が日本に留学していますし最近のご時世もあり帰化している方も増えているようです。 金髪の帰化した日本人女性が日本社会で活躍しているのも興味深いものです。 

 ロシアで生活しているアジア人は中国人 ベトナム人 韓国人 北朝鮮人などが多く 日本人はかなり希少で「日本人です」って言うととても驚き表情が激変するのだとか。   以前日本に観光できたロシア人女性たちのインタビュー動画で 話題が「ロシアワールドカップ」が開催されたとき彼女たちは是非とも自分たちの街に日本の代表がキャンプを張ってくれないかなって思っていたらしく 韓国のチームに決まった時「とてもがっかりした」といっていました。

 

 

2:ではまずハンガリーについての思い出は?

     ハンガリー Magyarország(マジャールオルサーグ)

 

社会主義国というものは・・・・ハンガリー

さて、夜間に飛行機に乗ると西欧と東欧の違いは一目瞭然です。
ドイツのフランクフルトからオーストリア上空を抜けてハンガリー上空に入ると
一方は光にあふれた社会で他方はほとんど暗闇の社会です。この光で本当に共産国を恐ろしく実感したものです。
首都ブダペストを除いてですが。  今ならばインターネットの人工衛星画像で日本と北朝鮮を比べることが出来るので容易に想像が可能ですけど。

 

 

2019年ごろの衛星画像

今は北朝鮮の部分だけが光がありませんが当時は中国も似たようなもの
だったかもしれません。1976年ころの東アジアに関してはおそらくは日本だけが燦然と輝いていた時代だったと思います。
また,市井では西欧社会は過剰なまでに物があふれた社会で東欧は物が少ないので人気な物資が店頭に並ぶと行列を作らなければなりません。
特にバナナなんかが 店頭に並ぼうものなら大行列は必至です。
輸入品でとても貴重価値が高かったので、現物を見せようものなら目が輝くますよ。なので今でも東欧の方やロシア人はバナナが大好きだそうですよ。

そういえば 当時、ハンガリーから西側オーストリアのウイーンに買い物に行くことが周りに知れると知り合いのハンガリー人から様々な買い物やお願いが舞い込みます。
まあ こちらもそこで生活しているといろいろとお願いすることがありますので そこは持ちつもたれつですけど・・・

そして、物が少ないということはつまり袖の下(わいろ)の力が大きいということの裏返しです。
例えば警察署に書類を出しに行くときなど
東欧では役所仕事はとても遅く とにかく非効率なのか時間がかかりますし間違いも普通に起こります。当然のように
長蛇の列ができますのでこういう時に袖の下を使います。
そこでは 絶対に手に入らない西側の有名なお酒などを忍ばせて
行くわけです。
並んでいるときにアピールすると「誰?お前なんか知らない」
といった振る舞いをしますが ドアを閉めて外部の人たちの目が
届かなくなると途端に態度が一変 急になれなれしく
「どうした何か不自由はないか?元気でいたか?」などと声を掛けてきます。もちろんご想像通りその後の手続きは滞りなく進んでいきました。


h3:社会制度 (教育 医療 インフラ)

ここまで書くと随分とネガティブな社会に感じられると思いますが
実際に暮らしてみると決してそんなことばっかりではありませんよ。
西欧とは違った東欧での生活は
別な所で利点や楽しみがあり興味深いものです。


社会主義なので基本貧富の格差はありませんし男女差もほぼありません。
格差がないということは社会にとってとても大きなことです。
ロシアの女性が日本でお医者さんにかかることがあって何度か病院
に行ったときに驚いたことに日本のお医者さんはみな男性だったことだそうです。
逆にロシアではドクターのほとんどは女性なんだそうです。
まあ普通に勉強したら大体女性の方が優秀だってことが多いですからね。
男女差がないということは女性は必ずしも男性に頼る必要がなく
離婚率が極めて高いということでもあります。 あの時代でも高いって聞いていましたが、現在でも離婚率70%みたいな数字らしいです。
       
でも当時、見ているとお互いに金銭的な負い目がないので別れても普通に仲良くお友達付き合いができるようです。 そのことにびっくりしましたが冷静に考えてみるととても良いことだと思いましたよ。 他人同士が一緒に生活するのですから
うまくいかないのはあたりまえですし およそ人生の伴侶を選ぶなんてくじみたいなものですから 当たらなくて当たり前って思います。(あくまで私個人の意見ですので悪しからず)


ですので、
離婚率が低いのは 賃金の男女差が大きく女性が経済的に男性に依存せざるを得ないか 地域社会の慣習が強い圧力になってる場合が多いのではないかとおもいます。  
従って、そのこと(離婚率の低さ)をもって
良いこととされるのはいささか問題をはらんでいると僕は常々思もっています。北欧スウェーデンのような豊かな国でも離婚率は高く
70%前後と聞いていますから。
教育は無料で力があればだれでも基本的に最高学府迄 学べます。
西側社会のように能力があるのに家庭の貧しさで教育が受けられないなどということが少ないのかなって思います。
あるいは、能力がないのにお金で入学、または入社などということによる社会的損失が起こりにくいのです。
医療も基本無料で誰でもお金の心配なしで受けられます。
年金が均等にあるので老後の心配もほぼありません。
ハンガリーではだいたい小さな別荘持っていて、ロシアでいうところの
ダーチャみたいもの、休日にはそこでのんびり過ごしたりしていました。
当時はインターネットなど在りませんので彼らは西欧と比較する
すべがなく大きな不満もなくなかなか安定した社会かなって思いました。
僕のように、外から来たものには結構ストレスフリーの社会ように見えたものです。
しかしですね、能力が高く外の世界を知ってしまった人は納得がいかないかもしれませんね。


僕は田舎のドナウ川の近くの小さな町に住んでいました。そのあたりの
道路は車がほとんど通らず、舗装はされていましたが、けっこうまだ馬車が走っているのに大変驚きましたが 自分自身田舎育ちなのでその風景は牧歌的でどこか懐かしいような・・・決して不快なものではありませんでした。
聞くところによると 更に田舎に行けばガスも水道もないところがあると聞いてまた驚いたものです。1977年ごろのことです。

 


*余談ですが「ウクライナの侵攻」でハンガリーに逃げてきたウクライナ人が国境近くの小さな村で生活している映像がユーチューブで流れていました。
ここの村はハンガリーの行政も及ばないような僻地らしく
現在(2022年)でもガス
水道のインフラが無いということなので驚愕ですね。
ウクライナも含め旧東ヨーロッパ諸国の首都は現在ではそれぞれ
繁栄して
いますが遠く離れた田舎ではいまだに行政が届かず繁栄から取り残されているのが現状のように感じました。

*:これも又余談ですが、当時の東ヨーロッパ諸国 1:ユーゴスラビア 2:ハンガリー 3:チェコスロバキア  4:ポーランド って国が存在していました。   その中でユーゴスラビアは当時チトー大統領という大変強烈な指導者がいて経済的には一番西側諸国とのつながりを持っていたので比較的経済状態は良かったようです。

そしてモスクワに近いほど貧しくなっていくっていうのが自分の認識でした。よって、上記の順で貧しくなっていくのでこの中ではポーランドが最も貧しいわけです。  なぜかって言うとユーゴスラビア人にハンガリーのことを聞き ハンガリー人にチェコのことを聞いて チェコ人にポーランドのことを聞いたからです。

じっさいに ユーゴに住んでハンガリーに移動するとなるほど実感としてそれが感じられたのです。

 

 

h4:田舎での自然環境

休みには宿から歩いてドナウ川の河川敷に降りていくと そこはとても広い森になっていて野生動物の鹿がいて、野生のリンゴ、野生のプルーン、  キクラゲが自生していました。
宿の前の広大な庭にはクルミの木が何本もあり、朝っぱらから「カリカリカリカリ」と大きなリス(猫くらいの大きさ)の租借音で目が覚めたものです。
散歩していると時々 ハリネズミに出くわすことがあり
ただ眺めているだけでも飽きないので 時間を忘れてしまうこともしばしばです。

 

 


ひまな時は河のふちで良く昼寝をしたり プルーンの木のしたに
シートを敷いて木を揺さぶり実の収穫をしたり 河岸に降りて釣りをしたりといろいろと楽しめます。西側諸国のように釣りをするのにライセンスなどの必要もありません。
そこでは西側ではすでに失われた生態系がまだまだあり感嘆しました。     ですが野原には
最強の蚊の群衆?がいて「ジーンズの上からでも刺してくるのには閉口したなあ。」「これがねえ本当に痛いんだよ! 是非皆さんもハンガリーの野生を味わって欲しいものです。」


(渇水時のドナウ川 対岸の森は実は中洲です。船の人は漁師かな?)


今はもう「鉄のカーテン」はなくなり西側の投資により開発が
始まっているので古き良きハンガリーが失われてしまうと思うと
生活は向上するでしょうが 身勝手な外国人からすると残念な気持ちも
多々あります。

 

h5:治安と警察

当時の治安はすこぶる良いが 負の側面もあります。

治安はすこぶる良いように感じました。
なぜかというと 皆仕事を持ち生活のできない人はいませんから。
生活は超安定しています。
もう一つの要素は ものすごい警察社会であるという点にあります。
秘密警察というのがありまして誰が警察か分かりません。

ひょっとしたら隣のおじさんがそうかもしてません。あるいは
親戚のいとこがそうかもしれません。なのでお互いの監視社会なのです。
密告社会なのです。
これではちょっとなかなか悪いことが出来ません。

この警察は思うに経済的なことより主に思想の監視の為かと思います。
社会主義は神をも排除する絶対的な思想なので体制に反対する者は
いかなる者も許しません。なので父親が家庭で体制批判などすると
その場では秘密警察には伝わらないけれど その息子が密告して父親は収監
などということが起きるのだそうです。
息子は学校でばっちり思想教育されていますからね。
一方で、思想批判をしなければ安心して生活ができるということでもあるわけですね。

要約すると、社会主義国と言うと何か暗い感じがしますが
実際普通に暮らしてみるとそんな感じはしませんでしたよ。結局同じ人間なので
普段の生活ではあまり変わりありません。知っている間柄ならみんな普通に笑うし感情の表し方が違うわけでもありません。むしろ競争がないので、いつも何かに追われているような資本主義社会より皆おおらかです。
一般に社会主義国の人々は我々資本主義国の人より笑わないというイメージ
があり、ネット上でも ロシアを旅行した方が「ロシア人は本当に笑わない」
なんて言っていました。
・・・そのことに関してロシア人の言い分は・・・
知らない人に対してやたら「にこにこ」するとロシアではあまり頭のいい人ではないと考えるのだそうで・・・彼らは そこを気にするのだそうです。
私自身も共産圏での生活を通して そこはそう思います。

知らない人に対して笑顔で迎えることはありませんが それが知人であればむしろありったけの笑顔とハグで迎えるのです。つまりただ単に文化の違いなのです。




6:ここでちょっと現在のハンガリーを少し

現在西側諸国からの投資がどんどん入っていますし、アジアからの投資も
大きいです。もちろん日本からの投資も大きく日系企業184社が進出し3万人の雇用を創出しています。(2021)
西ヨーロッパ市場を狙って人件費が安く優秀な労働者が多いハンガリーに進出したのでしょう。


自分の暮らしていた頃はまだ鉄のカーテンがありましたから西側からの
投資などありませんでしたが・・・帰国後の1990年?位でしたか
「サントリートカイのワインに投資」などという記事を見て驚いたことを
覚えています。今もその関係性が継続しているかどうかは分かりませんが?

その後スズキ自動車の名物会長が「ハンガリーの国情を見てこの国の人々に
ちゃんとした車に乗れる生活をさせてあげたい。」ということで現地で工場を
造った・・のような発言を聞きました。この時工場内でごみの分別を行い
最終的には それを街にまで広めたそうです。それまでごみの分別という概念

がハンガリーにはなかったのだとか。
今でいうところの 持続可能な社会のはじまりかな?
確か会長は後年ハンガリー国から表彰されているはずです。
今では
ハンガリー人がもはや自国車と呼ぶ「マジャールスズキ」(自動車)。
私がいたころのハンガリーには自家用車を作る会社はなく東ドイツから
「トラバン」と呼ばれていた小型車を輸入して乗っていました。
そうそうこんな面白い話もありますよ。 ある日知り合いの男性が私が持っている最新の日本製カメラを見て
「お前のカメラと俺の車(トラバン)を交換しないか?」って言われたことがありましたよ。  え 「カメラと車を交換?」って思いましたが あの小型車をほしいとは思いませんでしたので丁重にお断りしました。 何か事故が起きれば大破してしまうような車ですから。
 アハハ!   あの時代ならではのお話です。




マジャールスズキ工業

そういえば 余談ですがこんなことも
あるおばあちゃんからかわいいお孫さんの写真を撮ってくれないかと 頼まれて民俗衣装を着たお孫さんを撮って上げたことがありました。
当時最新の日本製カメラと コダックフィルム 最新のDPEが僕のところあるらしい
・・・きっときれいな写真が出来るに違いない的な考えが彼女に浮かんだのではないかと・・・考えます。
残念ながらその時のプリントが見当たりません。総勢20~30人くらいの
民族衣装を着た子供たちの可愛らしくとても懐かしい写真です。皆さんにお店出来なくて大変残念です。





今では西側諸国やアジアからの投資により様々な産業が育っていますが ここではあくまで当時ということで話を進めます。そもそもソ連からの圧力で勝手になんでも作れる状態になかったのです。なので当時の産業と言えば農業しか思い浮かびません。あとは観光と食かな!

7:農業と食

当時の産業としてはほとんどが第一次産業で農業国でした。
大事な輸出産品として
パプリカ  
ハンガリー人が大好きなハンガリーで作られた野菜です。したがってパプリカという名前はハンガリー語です。甘いもの、からいもの、丸いもの、細長いもの リンゴのようなサイズのものプチトマトサイズのもの 赤、緑 黄色 白っぽいものなど千差万別 種類が非常に多いです。
パプリカパウダーに関して言えば多分世界のほとんどのものがハンガリー産
のような気がします。ともかくハンガリー産以外を見たことがありません。

自分の中では当時このパウダーを使った料理でゴーラッシュ(ゴヤーシュ)
が大好きでした。分かりやすく言えば見た目も味も家庭版ビーフシチュー
かな。

 


   フォアグラ  今 日本への輸入品の中でかなりの シェアーを占めているとおもいます。 実際当店が使っているものはハンガリー産です。
本場のフランスにも輸出しています。
フォアグラがあるということは カモ肉 も特産輸出品ということです。

 

 


マンガリッツァ豚 
羊のようにフサフサした毛並みを持ち 保護により絶滅の危機から 
回復して「国宝」となりました。そのお肉は日本にも入ってきていますよ。

羊のようにモフモフの毛並みが特徴ですね。

 


エスカルゴ
「野原で人々が何か拾っている 採っているようだけど何をしているんだろう」と地元の人に尋ねたら 「あ~あれは多分エスカルゴをとっているんだよ。」って言っていました。多分フランスあたりに輸出しているんだろうとのこと。
日本にはフランス産エスカルゴの缶詰が入っていますが、フランスにはハンガリー産のエスカルゴが入っているようです。



ワイン
ハンガリーはヨーロッパの中で美食王国として知られていますが、この王国が最も誇るのは「トカイワイン」です。フランスのソーテルヌ、ドイツのトロッ
ケンベーレンアウスレーゼとともに世界三大貴腐ワインとされています。

 

 



フランス国王ルイ14世が「王のワインにしてワインの王」と称したという逸話があるほど、トカイワインは長い歴史を持ち、ヨーロッパの国々で称賛されてきました。古くから世界的評価の高いトカイワインですが、近年、より技術革新が進んで品質が向上しています。

一般に我々日本人にとって、食事中に甘口のトカイワインと料理のペアリングはちょっと考えにくいかもしれません。ですので無理に食事とあわせるのではなく、食前酒あるいは食後種として楽しむのがよいと思います。
そう言えば
当時帰国したときに楽しもうと思ってとっても上等な、日本ならば ん万円もする さらに、現地のトカイ迄買いつけにいったワインを日本に送ったのですが。帰国後驚いたことにアルコールの弱い兄貴がすっかり3本も飲んでしまっていました。本当にがっかりと同時に腹が立ちました。アルコールが苦手な兄が、当然飲み方も知らずに価値も知らずに飲んでしまっていたことに落胆したのです・・・まてよ、それだけおいしかったってことかな?・・・

それはさて置き さて飲み方としては
まず、ワインをしっかりと冷やしておくことです。トカイワインはとても甘い
お酒ですが、酸もしっかりとあります。したがって良く冷やすことで甘さが締まり、酸が引き立って驚くほどにスムーズにのどを通ります。

また、食前や食後にトカイワインと合わせるならブルーチーズがお勧めです。
(ゴルゴンゾーラなど)
デザートなら甘みと酸味のあるものがお勧めです。(アップルパイや
フルーツタルト、マチェドニア・デ・フルッタなど)
なぜならば果物の酸味とワインの酸味が口の中を引き締めるのであまったるくなりません。
そして最もお勧めがフォアグラです。油脂分と甘みの濃厚なペアリングは貴腐ワインの醍醐味を味わえます。

保管に関して:甘口のトカイワインなら開栓後冷蔵庫でしっかり保管すれば
1~2週間は楽しめます。

 

フォアグラのマスカットソース

 

 

様々な食材とハンガリー料理

 

  ハラスレ

記憶に間違いがなければこんな名前でした。お魚はドナウで取れた鯉を使っていました。それにパプリカパウダーと辛い唐辛子を入れて煮込んだ 日本でいえば「鯉こく」でしょうか   結構スパイシーな料理です。本当に田舎をドライブしているときにとある小さなレストラン?というか食堂でお昼を頂いたときに出てきたメニューです。あとは田舎パンとコーラだったと記憶しています。

 

 

ハンガリーのロールキャベツ

 

 

ワインに分類されるかどうか分かりませんがこんなお酒もあります。

ハンガリーの国民的健康酒!?

200年以上の秘伝のレシピ!
ウニクムは、200年以上の歴史を持つハンガリーでは誰もが知る国民的なお酒であり、世界にも幅広く輸出されています。
不思議な味と香り
数多くの天然ハーブとスパイスが配合されており、ハンガリーでは、古くから国民的な健康酒として広く親しまれてきました。また、ハーブやスパイスにはそれぞれ特有の味や香りがあり、「ウニクム」も独特な苦味を持っています。ヨーロッパでは、食前・食後に楽しむ酒として、ほとんどストレートで飲まれていますが、苦味に違和感がある方にはカクテルのベースとして、その不思議な味と香りを味わっていただけます。
貴族が愛した健康酒     日本でいうところの「養命酒」かな?

 

 

8:羽根布団羽毛

最初ヨーロッパに来た頃ホテルの布団が羽根布団でしたので軽すぎて
落ち着かなくて寝付けなかったことがあります。(笑い)
何せ日本で使っていた布団がしっかりとした重量がありましたので・・・

世界では様々な産地がありフランス産、スペイン産、カナダ産
ロシア産、チェコ産、中国産、そして最近は台湾産など・・
中でも
ハンガリーとポーランドは良質なダウンの産地として世界的に有名です。
両国とも国策として産業育成をやってきたため品質が高くヨーロッパで
最大の生産国はハンガリーです。
 
当時私は自分の分 祖母と母親の分 北海道に住んでいる新婚の友人のために
まとめて送ったことがありました。今でこそ羽根布団は有名ですが当時
はまだ使っている人はほとんどなかったし扱っているお店もなかったとおもいます。今羽根布団というと日本ではとても高くてびっくりしますが当時は
現地にいましたので1万円程度で買えたと思います。
そんな状況なのでみんなにとても喜んでもらえたのを記憶しています・・・

 

 

9:観光

ブダペスト
    古来ドナウの真珠と呼ばれるほど美しい街です。

 

      国会議事堂

 

 

        漁夫の砦

 ネオゴシック ネオロマネスク様式
ブダ城城壁の護り担当が漁師のギルドだったので砦の名前がついたそうです。
展望部分は有料となっていますが下部はレストランやカフェがあり食事をしながら対岸の世界で最も美しい国会議事堂を眺めることができますよ。    この時のメニューは人生はじめてのフォアグラのフライでした。

  そうそうキャビアもいただきました。でもこの時は最強の通貨ドイツマルクを持っていたのでびっくりする程安かった記憶があります。

 

 

チェーンブリッジ   ライオン橋   と自分は呼んでいました。

当時ハンガリーで一番美しい橋だったと思います。端入り口の欄干にライオンの石像が乗っていたのでそんな名前で呼んでいたのだと思います。画像右下にかろうじて石像が見えてるようですが・・・

 

古代ローマの遺産大浴場

    セチーニェ温泉  外風呂

日本の温泉との違いで僕の好きな点は男女混浴だということです。
もちろん水着をつけていますから温泉プールのような感覚でしょうか・・・、日本のように男湯女湯などと
区別されていません。みんな気持ちが解放されているので若し言葉で意思疎通が出来れば
とても楽しい時間をそごせそうです

       豪華なエントランス

流石ローマの遺産ってかんじです。

      内風呂

 

 

    ブダペスト国立劇場外観

当時のハンガリー人が最も良く知る日本人は小林研一郎さんだったと思います。
彼はブダペスト交響楽団の常任指揮者でした。
私は知りませんでしたが 誰にきいても日本人といえば彼の名前が挙がっていました。
先日NHKのある番組で彼が出演なさっていて当時のお話をなさっていらっしゃいましてとても懐かしく思いました。

 

    ブダペスト国立劇場内観

一度たまたま立ち席でオペラを見る機会があり、慌ててその辺のお店でネクタイを捜し求めてかろうじて入場を許されたことがありました。  言葉は分かりませんでしたがお芝居なので何となく筋書きが分かりました。なぜかというと 知っている内容だったこともあったのだと思います。

 

 

アグテレク・カルストとスロバキア・カルストの洞窟群  ハンガリーとスロバキアにまたがる世界遺産

全長約26kmもありヨーロッパで最も長い洞窟で地上とは別世界!約13mもある氷の滝や巨大な氷穴のトンネルなど地上からは想像もつかないような神秘的な空間が広がっていますよ。   若しハンガリーに行かれる機会があるなら私は是非お勧めしたい場所です。

*今はもうないでしょうが このころはまだハンガリーは完全な共産国でしたので こんなエピソードがありました。

入口ではすでにたくさんの観光客がいらっしゃって僕と友人はかなり後ろの方に並んでいました。     しばらくして私たちも中に入り始めました。中はとてつもなく長いのでかなり時間が経った頃 観光客はそれぞれスピードが違いますので前の人が後ろになったり 後ろの人が前に来たりとして順番がなくなります。   ところが あるところから必ず一人の男性が我々の後ろについていることに気づきました。  そこで我々はわざとスピードを落として最後尾に移動してみたところ 気づくとやっぱり一人の男が後ろを向いて我々の後ろにいたのです。  そこで確信しました。 自分が外国人なので監視されているんだなって。  共産国とは監視社会なのです。

 

D1: ドイツの春はホワイトアスパラと共に

 

 

 

 

ヨーロッパの春と言えばホワイトアスパラでしょう。      日本では、そもそもアスパラと言えばグリーンアスパラを思い浮かべますが・・・特にドイツ人は日本人が「桜」を見て春を感じるように 市場や農場近くの道端で大量の「ホワイトアスパラ」を見ると 寒く辛い冬から抜け出し春を迎える喜びが爆発します。  ですから各地で様々なイベントがもようされます

 

 たとえば        「アスパラの皮むき大会」   「栽培農家の娘さんがら選ばれるアスパラの女王コンテスト」 なんかが有名かな?                                   日本では桜前線なるものがありますよね。 ヨーロッパではホワイトアスパラが南欧イタリアから始まって4月の中旬ころドイツに到達6月24日の「聖ヨハネの日」までがシーズンのようです。

ホワイトアスパラはドイツでは「シュパーゲル」と呼ばれますが 別名でも呼ばれます。 「貴婦人の指」  「 白い黄金」  「 食べられる象牙」などと呼ばれることもあります。  これらの言葉からドイツ人のホワイトアスパラに対する愛がつたわってきますよね。    

 

ドイツワインの産地モーゼル川

日本では稲刈りの真っ盛りころヨーロッパでも収穫の秋です。ぶどうの収穫
時季を迎えます。    村々ではワイン祭りがはじまるのでしょうか?
さて今回から少し僕の訪れたワインの産地などを懐古して見ようかと考えて
います。 予定としてはドイツ モーゼル地方 皆さんご存知の猫の
マークの入ったシュバルツカッツはここが産地です。
次はハンガリーに飛んで有名なトカイワインの産地へ。そしてイタリアの
チンクィ・テッレ日本式に言えば「棚田のある五つの村」
そんな感じかもしれません。  
さて話はどんな風に展開していくのかは決めて居ませんので ふらっと
旅のようにその場その場の展開となりそうです。分かりませんがどうかな?_


 

 

 

コブレンツ
では先ずドイツのモーゼル川がライン川の合流点の町コブレンツに
降り立ちましょう。ここは地理的理由でワインの一大集散地でもあり
確か記憶が正しければ軍の拠点であり大学があり又当時は化学工業
の拠点でもあったような気がします。地形的に言うと中州というか
三角地というかまさに船の先端みたいな地形をしています。対岸
の丘陵には城というか要塞がありその昔そこに大砲を設置して行き交う
船を監視したのだとか。

 

ドイツは僕にとって結構思い入れのある国で 音楽と言えば 日本では
クラシック以外はドイツ音楽を聴くようなことはあまり、
いやほとんどないとおもいます。けれど、普段耳にするそのほとんど
がダンス音楽でお酒が入るととても陽気
で楽しいものなのです。ともすればドイツのイメージは固く暗いような
ものが浮かんできそうですがそんなことはありません。是非機会が
あったら楽しいドイツの音楽を聞いていただきたいと思います。   

 

 

さて、話を戻して
そんなコブレンツからモーゼル川をさかのぼ遡ると両河岸の丘陵にはぶどう
畑が広がってきます。そしてその丘陵の上には古城らしきものが
あっちこっちに見受けられます。このあたりには観光客が結構いたり
するのですが日本人を見つける事はありませんでした。とても雰囲気
のあるいいところなのに。惜しい気がしたものです。

    
モーゼル河谷と言ったらいいのか河岸段丘の発達が良く、その段丘面上
ではモーゼルワインとして知られる白ワイン生産を目的とするぶどう
栽培が盛んなのです。産出するほとんどのワインは白ワインで酸味の
新鮮さにとんだ爽やかでキレのいいワインです。
品種はリースリングが全体の半分を占めるのだとか

 

上流に向かって途中かわいらしい街Cochemコッヘムにであいます。
ワイン作りとその取引で栄えた街です。このあたりは古きよきドイツ
が残っていると言うか維持されていると言うかとても美しい町並みです。

そしてさらにこんなところに・・・
モーゼル川に沿った山間地で平坦部が少なく、家屋のすぐ裏の
急斜面字ブドウ畑が広がっているツェル村が・・・・・

 

村と言ってもドイツの村はビックリするほどきれいですよ。ここの村に
限らず例えば北ドイツの私の住んだ村に最初に行ったときのことがいまで
も鮮明におぼえています。
それは収穫の秋の天気の良い日でした。田舎道を車で走るとそこは一面
黄金の麦のなだらかな丘陵地でかなたに村の教会の塔が見え・・・


本当におとぎばなしの景色かとおもいました。
そして村の中は小さくとも銀行があり郵便局があり、もちろん中心には
教会の塔がそびえたっていました。村の道はアスファルトではなく石造り
で商店はその当時(私は愛知県に居たので、そこを比較の対象として)
の日本の街の商店よりきれいなウィンドウディスプレイだったと記憶
しています。
薬局などはホントに整理整頓と言う言葉を通り越し全ての
薬剤が引き出しの中に収納され 店内には全くありません。白衣を着た店員が症状を聞きそれにふさわしい薬を取り出してきます。全く見事としか言いようが
ありませんでしたね!ひとつにはドイツ人の気質だとは思いますが。
とにかくきれいに整理整頓、なんでもきっちりと収めてしまうといったね。

因みに私が風邪をひいたときには「コンタック600」が処方されました。お気づきでしょうが日本ではコンタック500ですよね。ドイツ人は体が大きいのでカプセルの中のやくざいは600で薬の量が多いのです。よって効きがいいのなんのすぐに回復した記憶があります。
又話が脱線してしまいました。

 

とにかくこのモーゼル河谷は古きよきヨーロッパって感じがしたことです。
そうそう・・・この河谷をさらに更に遡るとルクセンブルクに到達し更に
遡るとフランスに入ってしまいます。
やたらだらだらと長くなってしまいました。
今回はここまでとしましょう。・・・・・少し疲れました・・

※お断り、必ずしも画像と文面が一致しているかは今となっては定かではありません。
ただその地域の画像であることは間違いありませんので、そのズレはご容赦ください。

 

ドイツという国での思い出・・・Cuxhavenコクサーフン

私は日本で電子レンジオーブンを30年使っていますが未だに壊れません。
昔の家電は本当に長持ちします。

電子レンジと言えば 今から50年前私はドイツに行きました。その当時まだ日本で電子レンジを見たことはありませんでした。それがドイツの一般家庭にあったのです。一般とはいえお金持ちだったのでしょう。ともあれそのレンジを良く見ると日本のメーカー名が書いてありました。日立か東芝だったと思います。2重の意味でびっくりしました。    日本では見たこともないレンジがドイツにあったこと (お金持ちの)家庭でとても便利そうに使われていたこと  しかもそれが日本製なのにドイツの家庭にあったことの衝撃!   今でも思い出す驚きの記憶です。

さて、話は変わってドイツって海は北部にしかありません。
海に来たからと言ってガンガンと泳ぎまくるようなこともありませんよ。水質もあるかもしれませんが泳いでいる人はほとんど見かけません。じゃ何をしているかって・・・
最大の目的は日光浴かな。湿度が低く夏だからと言って日本のような暑さはかんじませんので日本のように苦痛ではないのでしょう。あと北ヨーロッパなので太陽がこいしいのです。      
 ところで、ここで伝いたいのが
日本ではまずほとんど知られていないドイツの観光地 Cuxharven (コクサーフェンまたはコクサーフンのように発音します。日本語読みするとクックスハーベンですがこれはまず通じることはないですね。)についてです。 北ドイツの港町であり観光地(ドイツ最大の海岸保養地)です。最寄りの大都市はHamburgハンブルヒ日本語読みはハンブルグです。
保養地なので大都市ではもちろんありません。町を散歩して土手を上がり河口を見るとたくさんの シュトラントコルプ「強風や日差しから人を守る籠」 が花をそえます。
自分が昔見たものは柳の枝で編んだ籠だったと覚えていますが今ではご覧のように素材が変わっているように思います。

 

 

日本ではドイツの観光と言えばたいがいは南部に偏っているような気がします。
おそらくはアルプス やロマンチック街道などが有名ですよね。あとオクトーバーフェストのミュンヘンとか 建物ならケルンの大聖堂とかノイシュバンシュタイン城などがほとんどの目的地になっているようです。
実は北ドイツの海岸はドイツ人には高級リゾート地として大変有名なんですよ。昔も今も!

 

この街に行くときはいつもペンションに泊まることが通例となっていました。そこは朝食だけ付いた宿泊施設でした。朝食と言ってもパンとコーヒーとゆで卵だけです。当時ドイツの朝食はどこに行ってもいつもそんな感じでした。50年も前ですから今は少しは変わっているかな?  

ここに行くといつもローストチキンの専門店に通っていました。ロテーサリー(チキン丸ごと何羽も串刺しにして回転しながら焼く機械)
でじっくり焼き上げたチキンの皮はパリパリとして最高で小骨なども食べられるくらいに焼きあがっていました。油で揚げたものと違って油っぽくないのでいくらでもたべられます。ビューナブリオン(チキンコンソメスープ)は絶品でした。
あとは港町なのでシーフードも欠かせません。

 

ムール貝も美味しかったなあ!  ドイツ料理ではないですがパエリアも食べたっけ
そう言えばいまだに謎ですが日本で食べるムール貝はなぜか美味しくないのです。

街の外角は結構変わったでしょうが旧市街はほとんど変わらないと思います。ヨーロッパって大体そんなかんじですよ。街の景観を守るため勝手に広告を出したり外壁を変えてはいけないという法律がしっかりとあるはずですから。